2003年6月24日(火) 「雨のスポーツ大会」

今朝はあいにく朝から雨。それでも僕はいつものように家を出て、駅へと向かう。ただ、唯一いつもと違うのはカバンがとても軽いということ。教科書が入っていないのだ。

今日はスポーツ大会の日なので、雨が降ろうとも授業は行われない。だから、その意味では僕が学校へ行く社会的な理由も今日はない。ただ、このところ残業分の仕事が少しずつ溜まりはじめていたころだし、何より「先生、応援に来てや」と息巻く生徒が少なからずいたので、僕は今日もあくびを噛み殺しながら満員電車で押しつぶされて一日を始める。学校へ着くと、予想はしていたが、他の非常勤講師の姿は一人も見えない。それはそれで、他の先生からの「何はりきってんねん」という無言のツッコミを勝手に意識してしまい、どこか気恥ずかしい。職員朝礼が終わると、その自意識過剰からくる視線を振り払うように、僕は漢字テストの採点に取り掛かった。

今日のスポーツ大会で予定されていた種目はソフトボール・サッカー・キックベース・バスケ・バトミントン・卓球の6種目だったが、うちソフトボール、サッカー、そしてキックベースが雨天のため中止となってしまった。バスケットボールのタイムテーブルを見ると、僕の受けもっているクラスの生徒たちが出るにはまだ1時間半くらいある。僕も中学・高校とバスケットボールをしていたので、試合会場は学校から少し離れた長居球技場内の体育館だったが、まずはこの試合に間に合うように頑張ろうと思った。が、いざとりかかってみると仕事は思ったよりも膨大で、けっきょく途中で赤ペンを机に置くことに。1時間半は足早に過ぎた。

体育館の扉を開けると、キュッキュッというシューズがフロアをこする懐かしい音がまず耳に飛び込んできた。そして、そのコートの脇に教え子のグループを発見。でも、どこか表情は冴えない。話を聞いてみると、担任の先生がタイムテーブルを見誤ったようで、彼らとは別のチームのクラスメート達が担任の先生に言われたとおり会場に来てみると、現地の先生に「遅刻」といわれそのまま不戦敗扱いにされてしまったらしい。だから、彼ら自身の試合はもうすぐ始まるのだが、その表情はあまり明るくない。そこへ、当の担任の先生が応援のためにフロアに登場。それまで愚痴にも似た口調の言い分を聞いていた僕とすれば、一瞬彼らの不満が爆発するかもしれないと危惧したが、そこは彼らも少しは大人なのだろう、彼らなりに気を利かせたのか、苦笑いを浮かべながら「先生、ちゃんと時間みてくれな困るでぇ」と半ば茶化すような素振りで抗議してみせた。すると、言い方がそんな風だったから単なる冗談だと判断したのか、その担任の先生は笑いながら「あんたらがちゃんと時間確認せえへんからあかんねん」と、こちらも茶化すような素振りで返事をした。そうして、僕の危惧など無用だといわんばかりに、その場は次第に和やかな雰囲気になっていったように思われた。が、しばらくしてその担任の先生がフロアを後にしたとき、さっきまで楽しそうに笑いながら僕の横に座っていた生徒がポツリ、「先生、謝ってくれへんかったなぁ」とこぼした。誰に向かって言ったでもなく、ただため息のように、小さくそうこぼした。その一言は、僕の胸に大きく響いた。

しばらくすると、別の見慣れた生徒達の集団がフロアに姿を現した。例の、「先生、応援に来てや」と僕に執拗に迫っていた生徒達だ。目が合っても「先生、来てくれたんや」なんてねぎらいはない。逆に「来て当然。」とでもいわんばかりにボールをこちらにチェストパスしてくるのだが、そこがまたかわいいところでもあったりするから不思議なものだ。けっきょく、先に試合を待っていたクラスの生徒達は試合に敗れてしまい、けっきょく終始表情を曇らせながら体育館に背を向けていくことになった。「嫌なこと続きの一日になってもうたなぁ」と彼らの心情を察しながら遠目で見送る僕の目の前では、もう次の試合のジャンプボールが行われている。試合は着々と、時間通りに進行・消化されていく。

そうして、いよいよ子憎たらしい彼らの出番。休み時間のたびに体育館でバスケをし、そのために服装を乱したまま授業に遅刻してきては注意していた彼らだけに、「優勝したらジュースおごってや」などという一方的な約束を残してコートに向かう彼らを見送る僕は、どこか顧問のような一体感に満ちた心境にいつしかなってしまっていた。試合中もその心境は変わることなく、所々「そこはまだシュートちゃうやろぉ」などと思わず声をこぼしてしまうシーンもあった。結果は、いうだけのことはあって見事に勝利。彼らを笑顔で迎えつつふと時計に目をやると、僕がこの体育館に着いてまだ30分くらいしかたっていない。職員室に比べると、こちらはとても時間の流れが遅いようだ。

次の試合までは一時間ほど時間が空くということだったから、彼らと「また後で見に来るわ」という約束を交わして、僕は傘をさして球技場を後にする。外で昼食をとり、職員室に戻るとまた時間は足早にも既に30分ほど経過してしまっていることに気づく。それゆえ、職員室に戻ったもののけっきょく一枚もテストの採点を続けられないまま、再び僕は傘を握り締めて職員室の扉をぐいっと引いた。その時だ。制服姿の男子生徒が二人、職員室の前にあるソファーに座っているのに出くわした。二人とも見慣れた顔。そう、これから再び僕がバスケの試合を見に行こうとしているクラスの生徒、つまり教え子だ。思わず「あいつら試合に勝ちよったぞ」と朗報のつもりで伝えてやったのだが、まったく嬉しそうな素振りは見せず、その表情はずっと暗いまま。不思議に思い、事情を聞いてみると、その内の一人が次のようなことを言った。

「試合に出てるヤツらは楽しいかもしれへんけど、うちらみたいなヤツらはヒマでどうしようもないねん。学校は、クラスのみんなが負けて試合を終えるまで勝手に帰ったらあかんっていっといて、そのくせ混雑するから応援にはいくなという。ほんま、学校っていう小さい場所のなかの、さらに小さい教室におれら監禁されてるみたいや。明日から期末試験の一週間前に入るし、勉強の用意も持ってきてないから図書館開けてくれっていっても、これも混雑するから無理という。だからクラスのヤツが勝ったって羨ましいだけで、喜びなんてあらへん。むしろ帰る時間がまた遅くなったっていう残念な気持ちしか沸いてこぉへんわ。『どうなってるんですか』と担任の先生に何回話を聞きにいっても、そのたびに笑顔でごまかされるだけ。順延にするとか、雨天用の別の種目に振り替えるとか、もっと雨の日の場合を考えた準備みたいなものを学校ではしないんですか?ほんま今日学校きた意味が全くないわ。」

僕は答えに窮する以外になかった。先の不戦敗の彼らもそうだったが、ここにもルールのために不毛な思いを舐めさせられている生徒がいたのだ。事情を簡単に説明すると、今日は雨が降ったためにソフトボール・サッカー・キックベースの3種目が中止になったことは先にも触れた。そのために、もちろん出る種目を失った生徒には他の種目に移るようにという催促がなされるが、それでも各種目には定員があるため、どの種目にも参加できない生徒がどうしても出てきてしまう。彼らはそのような生徒たちの一人だったのだ。そして、彼らの告発(彼ら自身は「愚痴」だといっていたが)の内容は、概ね内容として間違っていない。実際に、学校は彼らが教室から出ることを基本的に禁止し、またクラスの全員が試合を終えて教室に帰ってくるまで下校してはならないとしている。もちろん学校側には学校側の言い分があって、たとえば生徒数が多いということもあって、教室からバトミントンやバスケットボールの会場への行き来を許してしまうと学校中がひどく混雑するという事態に陥ってしまうということがある。そうして、中には勝手に帰ってしまったり、近所のカラオケやゲームセンターなどに遊びにいく生徒も出てくるという危惧もあるということだ。きっと、それはそれで過去に学んだ上での方針なのだろう。また、大会を順延していれば夏休みになってしまうし、クラスの全員が揃うまで帰るなというのも、生徒に自分勝手な振る舞いを抑えつつ集団生活を送らせようという意図があるように思われる。図書館閉館の理由が混雑だというのも間違ってはいない。行き場のない生徒が必然的に溢れかえることになるというシステムを変えられない以上、学校としては混雑の予想される図書館は開館できないということなのだろう。

ただ、考えてみればみるほど、これらのルールはいずれも学校側の事情は考慮しているものの生徒側の事情は殆ど考慮していないのではないか、という想いに駆られてくる。たしかに、ゲームセンターやカラオケに抜け出て遊んでいた生徒が過去にいたのかもしれない。しかし、今目の前にいる生徒達はいうまでもなく過去の生徒たちとはまったく別の人間なのであり、それを頭から「同じ過ちを繰り返すだろう」と決め付けてかかるのは、率直によくないんじゃないかと思う。もちろん、繰り返すが過去に学ぶことは肝要だ。しかしだからこそ、その過去の解釈には十分慎重にならなければならないのではないだろうか。会場間の往来を禁止する以外に、ゲームセンターやカラオケに生徒を行かさない対策はなかったのか。ここで念のため付け加えておけば、現場の先生方は本当に一生懸命に職務をこなしておられる。雨の中、順番を決めて校外の近辺を巡回したり、あるいは雨天のために急遽変更になったメンバー登録を調整したり会場での試合進行を管理したりと、非常勤というおのれの責任の軽さについ肩身の狭い思いを抱いてしまうほどに、懸命に職務にあたっておられる。しかし、だからこそ、その職務の前提となり指針ともなるルールの吟味には、もう少し慎重な眼差しを向けてもいいのではないかと思われてならないのだ。生徒不在のままのフィールドでどれだけ汗を流しても、やはり生徒との対話はいつまでも適わないままなのだから。

とはいえ、僕も生徒の前では学校側の人間。それゆえ、軽率には生徒の肩を持ってあげられないなと思ってしまう辺りに、やはり自分は俗な人間だなと痛感する。否、結局は痛いほどの痛みは感じていないのだろう。答えに窮してただ彼らの言い分に耳を傾け続けるしかなかった僕は、一通り話を聞き終えると、僕のカバンにあった漢字練習帳とシャープペンシル、それと裏が白紙のいらないプリントを彼らに渡してやった。今度の試験範囲でもある練習帳だ。そこに「じゃあせめて、やることがなくて嫌なんやったら、これでも書いて覚えとくか?みんなに配れるだけの数はないからあんま大きい声じゃ言われへんけど。」という言葉を添えた。我ながら、うすっぺらい言葉だと思う。それでも、その二人の生徒は「ありがとうございます。じゃあそれやります。」と、少しだけ表情を明るくして言ってくれた。ただ、僕のとるべき態度は本当にこれでよかったのだろうか。

彼らの話に聞き入ってしまっていたために、けっきょくバスケの試合には間に合わなかった。口約束とはいえ、それを破ってしまった気まずさを抱えつつ彼らに会いに行くと、どうやらそれどころではなさそうな様子。みな口を揃えて「あと五点とっとけば…あぁ悔しい!」と唸っている。聞けば、試合には勝ったのだが得失点差で届かず決勝トーナメント進出はならなかったというのだ。一見すればリーグ戦ゆえの厳しい現実ともとれるが、しかし先に学校のルールというものについて頭を悩ませた僕には、もはや目の前の現実はそのようには映らない。というのも、彼らのリーグには五チームが参加していたが、各チームが実際に試合をするのは2試合だけ。つまり、時間の関係上総当りにはなっていないのだ。そして、当の彼らもリーグ通過の一位チームとは対戦していない。それゆえ、「またルールによる理不尽な被害者が生まれてしまうのか」と半ば感情的にも直観した僕は、思わずバスケの現場責任者の先生の前に歩み寄って「学校の都合で彼らを予選敗退にしてしまうのは可愛そうだから、リーグ一位決定戦ってのをやってみてはどうですか?」と言おう…と思い立ったが実際には言えずに、ただ負けた彼らを励ますことしかできなかった辺りに、やはり自分は俗な人間だなということを痛感してしまう。

否、結局は痛いほどの痛みは感じていないのだろう。

 



2003年6月21日(土) 「幹事の憂鬱」

夜十時。玄関の扉が重い。ぐいっと扉を開けると「お兄ちゃんが『元気にしてるか?』って気にしてたで」という母の声。気持ちはいよいよ重くなる。

今日はいつかこの日記にも書いた、帰阪する友人を囲もうという飲み会の日だった。発起人は僕。そして、その発起当初はわりとスムーズにアポも取れて順調だったのだが、あろうことか最近になってこの21日に兄が友人の結婚式のため大阪に立ち寄ることが判明。せっかくだからみんなで食事をしようという話になったが、しかし僕は幹事。けっこう人の集まりそうな飲み会の言いだしっぺ。日程をずらすこともためらわれ、況や中止にしようなどとはいえるはずもない。それに、飲み会は飲み会で楽しみでもあった。けっきょく僕は家族の食事に出ることを辞退。ただ、こう決断したときすでに歯車は少しずつ狂いはじめていたのかもしれない。

今日の午前中はいつものように学校で授業。そろそろ期末試験が近いということで、三年生のクラスでノートを提出させた。これを機に今この時期にノートを仕上げることができれば、これからの試験前の勉強も幾分やりやすくなるだろうという僕なりの教師的な配慮のつもりだ。ただ、今日は2クラスで一気にそれを実施したのでチェックすべきノートの量も当然2倍に。さすがに「その日の仕事はその日のうちに」がモットーの僕もこのノートの山には苦戦モード。それでも夕方前には1クラス分を見終え、どうにか「日が暮れる頃までには全部終わりそうだな」という目算がたつところまで消化することができた。これは、来週以降も他クラスの小テストの添削やノートのチェックの続く僕には何よりの朗報。しかし、そこで僕は今日は飲み会だったということを思い出し、途中で手を止め学校を背にすることに。とはいえ、このとき僕の胸はたしかに踊っていたように記憶している。懐かしい顔ぶれとのざっくばらんなトークを、夕陽に重ねて思い描いていた。

歯車の狂いにはっきり気づいたのは、その学校からの帰り道で携帯電話をパカッと開けたときだった。メールが二通届いている。見ると、いずれもいわゆるドタキャンを告げる内容だ。しかもうち一人は僕の中での“今日の主役”、囲まれるべき“帰阪する友人”だ。もっとも、どうやらこれには僕の勝手な思い込みもあったようで、当の彼自身は“ちょっとした集まり”程度の認識だったらしい。彼からのメールは、「二日しか大阪にいなくて昨日外で飲んだから、今日は家族と夕飯たべるわ」といった旨の内容だった。正論だ。正論だが、結果的にはその家族とのひと時に首を振ってまでこの飲み会をやろうとしている僕としては、どうにも心情的に引き下がれなかった。メールを読むや否や彼に電話をし「どうにかならんか?」と説得し、最終的には「1次会には無理で明日も早いから顔を出す」という結論におさまった。さぁ、大変なことになってきた。

予約していたお店に電話する。「8人って予約していたんですけど、6人に変更ききますか?」と尋ねると「当日の変更ですとお食事のほうは8人分出させていただく形になります」という返事。これも正論だろう。あちらにも仕込みの準備というものがあることは、自身の飲食でのアルバイト経験を振り返るまでもない。そして、「さてどうしたものか」と頭をもたげつつ集合場所にいくと、さらにもう二人から「遅れそう」とのメールが届く。結局、お店に向かうことになったのは4人。しかも、うち一人は現在大学の都合で三重に一人暮らししているところを僕が半ば強引に呼んだ友達。しかも明日の早朝で大学に戻って実験が控えているという。それゆえ、その申し訳なさで胸が詰まる。いっそ店を変えようかという案もでたが、再度お店に尋ねたところ「キャンセル料は1万6千円になります」という脅しにも似たカウンターパンチ。結局、その4人で時間通りに入店。八人部屋の和室に、箸が6膳。見た目はゆったりとしていて感じがよいが、コンテクストがコンテクストだけに、今はその空間が少し寒い。

そうこうしているうちに、料理が運ばれ自ずと食は進み、しかし遅れている友人はまだこない。ここで、最終的に「飲み会」という看板を下げることにして内輪モードへの移行を決定。そこで、遅れている2人のうちの一人はたった一人の女の子参加者だったので、この空気はきっと気まずいだろうと思い、彼女には「また今度にしよう」というメールを送り、あともう一人には「うちらがこの店を出たら合流しよう」と連絡する。そして、双方からの了承を得たところで、ようやく気分は一段落。むろん、三重から呼んだ友人への気まずさは依然として胸につかえたままではあったが。気づけば4人で2万円分のコースメニューを平らげたことになる。

けっきょく、その後は予定通り(といってもまた一人から「けっきょく行けそうにないわ」という旨のメールが届いたが)友人と合流したのち、軽くファーストフードで駄弁(だべ)って解散した。思えば、今日会えたなけなしの友人はいずれもとても懐かしい顔ぶればかりだったし、それゆえ普通に会っていたらもっと気持ちも弾んでいたことだろう。しかし、飲み会崩れという格好悪さゆえ、その笑みはことごとく疲労感に邪魔された。もちろん、誰が悪いわけでもない。それぞれ事情があることは重々承知の上でのこと。もし誰かを責めたいという気持ちがあるとすれば、それは他ならぬこの自分自身。それぞれ忙しいなか友人を集め、そのせっかく集まってくれた友人に何ともいえない空気を吸わせてしまったというこの失態。この場を借りて心からお詫びするよ。君らとは「飲み会で会う」んじゃなくて、また軽く「一緒に飲みに行き」たいな。そして、このような申し訳なさを否応なしにダイレクトに強いてくる幹事という役職に、今回のことで僕はホトホト疲れてしまった。今度から、飲みに行きたくなったら個人的に連絡をください。僕も、個人的に連絡することにしよう。とりあえず幹事というバトンはここに置くことにして、僕は誰かがそれを拾うのを待っていることにする。って、また僕が拾うことになるのかもしれないが。

最後に、そのままフテ寝しそうな僕をブルブルブルっと呼びとめ、わざわざ「今日いけんくてゴメン」と電話をくれた友人の心づかいが、そのまま寝てしまうこともなく僕にこの日記を書かせる力になっているということを付記しておきます。これも、ある意味ひとつの“幹事冥利”?

 



2003年6月19日(木) 「ユートピアとしての灰谷健次郎」

もちろん、生徒指導に「叱る」という要素は必要だろう。問題は教師の心がけとして「叱れる先生にならねば」と胸にとどめておくということの是非である。信条にまでしてしまってよいものかどうか。

懊悩の真っ只中で、僕は前回の日記をこのように締め括った。今日はこの後の思考の軌跡を書き留めておこうと思う。先に結論(もちろん「とりあえずの」という条件付きではあるが)からいってしまえば、“現在の僕自身の問題として「叱れる先生にならねば」と胸にとどめておくことは必要である”ということだ。理由は明白で、“僕自身が無意図的・直感的にもそのように反省してしまっているから”である。

もちろん、このように結論づけてしまえば、この数日で灰谷文学から受けた影響は何だったのかということにもなりかねない。つまり、『砂場の少年』に触れたことでせっかく気づきかけた何かをまったく無駄にすることになるんじゃないか、ということである。ただ、実際のところはそうではない。むしろ、この『砂場の少年』に触れたことで灰谷文学との僕なりの接し方みたいなものが新たに見えてきたような気さえするのだ。その辺りを少し記しておくことにしよう。

まず、僕のまったくの私見ではあるが、灰谷さんの描く母性的な教育関係は今日の教育現場におけるひとつのユートピアじみたものなのではないかと僕は思っている。つまり、たしかにそれは目指されるべきひとつ状態ではあるのだが、しかしそれはあくまで“目指されるべき”なのであって、必ずしも“達成されるべき”なのではない。より正確にいうならば“達成されることは現実的には非常に難しい”。なぜならば、たとえば『砂場の少年』においても教権(生徒に対して教師の持つ権力)に甘んじている横柄な俗教師が批判的に描かれているが、それが批判たり得るためにはいうまでもなく、批判されるべき“教権に甘んじている俗教師”の存在が不可欠である。つまり、大雑把な議論を自覚しつついえば、灰谷観は現状におけるいわば“野党”なのである。そして今日、教育界(それも社会全体のなかに位置づけられた教育界)における“与党”の力は、とてつもなく深く、大きい。それゆえ、“達成されることは現実的には非常に難しい”。

そして、この現実は灰谷健次郎自身がその17年間の教師人生の中で痛いほどにぶつかった壁でもあるのだろう。僕は、彼が教育の現場には戻らず未だに文筆活動を続けている理由もそこにあると考えている。それも単なる“与党”からの力の大きさだけが問題というのではなく、いうなれば人間の持つ弱さそのものにまで問題の根は伸びているのではあるまいか。『砂場の少年』のなかで、職員会議のなかでベテラン教師たちに対して、新人教師が以下のように告白する場面がある。


「ぼくは教師になってまだ日が浅いけれど、教師という職業には人間を聖職者にしてしまう麻薬のようなものが潜んでいるように思えて仕方ないというのが、ぼくの偽らない感想です。」

「自由とか平等だとか口にしながら、四十人なら四十人の生徒を受け持って、生徒の前に立ったときの、ひそかな優越感、人間としてそんなことするべきじゃないと生徒にいいきかせているときの、隠しようもない誇らしさ。それは、みんな人間の弱さだと思います。」

「こういうことをいうと先生方に嫌われると思うんだけれど、ぼくは教師になってみて、教師に絶望した部分もあります。」

「長いものに巻かれろ式の事勿れ主義の先生もいます。若いくせに出世志向の先生もいます。車や家や海外旅行にしか興味がないような先生がいます。子ども不在やなぁと思いながら、自分はどうなのかと自分自身に問うてみたら、ぼくも車を持っているし、海外旅行もひんぱんにいっています。…」

「いってみれば誰も教師をやる資格なんてないんです。人にものを教える資格なんてないんです。でも教師は必要です。ぼくはやめないで教師をしています…」

「ぼくのたった一つの良心みたいなものは、自分は生徒より一段上の人間だから、号令をかけてもいいんだという思い上がりだけは持たないようにしようという消極的な願いだけです。」



やや長い引用になったが、この告白に今日の教育現場に対する灰谷さんの基本的な眼差しを読み取ることはできないだろうか。つまり、教壇に立ってしまうとどんな人でも人間である以上、その「弱さ」ゆえに「ひそかな優越感」や「隠しようもない誇らしさ」を抱いてしまう。もちろんこれらの感情は批判されるべきものではあるのだけれど、しかしまずはこれらの感情がどうしようもないものとして存在してしまうというところから考え始めなければ、議論はみな浮き足立ったフィクショナルなものになってしまうだろう。コーラを飲んだらゲップがでるように、教師は生徒の前に立つと「ひそかな優越感」や「隠しようもない誇らしさ」を抱いてしまう。そして、さらに“与党”がそれらのネガティブな感情を甘く肯定してくれる。さしあたりは現場において教権が存在しており、さらにその背景には現行の学校という制度を是認する法体系やモラルがどっしりと存在している。だから、人間であるところの教師はあたかも「麻薬」に犯されたように、いつしかその否定されるべき諸感情に対する自らの嫌悪感を麻痺させてしまう。それゆえ、小説ではその種の嫌悪感に気づいたり共感したりできる人間が、“日の浅い教師”や“テレビ局上がりの新任教師”として描かれているのであろう。いわばここでは教師の人間性そのものよりも(もちろん人間性も肝心だが)、むしろその経験こそがより大きなファクターとなっているように思われる。いい人間も、教歴を積めば、「麻痺」する。これはどうしようもない。問題は、だからどうするか、だ。

そして、きっと灰谷さん自身もその「麻痺」症状の例外ではなかったのだろう。だからこそ、彼は教育の現場に戻らないのだろうと僕は思う。もちろん、彼はその人間性ゆえ教壇の上で「麻痺」している自分に半信半疑ながらも気づきはしたのだろう。そして、だからこそ勇気を振り絞って辞職し、沖縄へ渡ったのだろう。沖縄へ渡り、教育の現場から離れることで、その「麻痺」が紛れもなく「麻痺」であったことを確信したのではないだろうか。それゆえ、彼は戻らない。外部からでしか書けないことを書き続けるためだろう。内部でそれが書けないというのは、ただ権力に屈してしまうということではない。より本質的には、自分の弱さに屈してしまうのだろう。問いや疑問そのものを抱けなくなってしまうのだ。だからその意味では、先にあげた告白を行った“日の浅い教師”に対しては、「キャリアを積んでいくにつれて、きっといつかは彼の批判した俗教師へと無自覚的に変貌していくんだろうな」といった嘆きも、もしかしたら灰谷さんの胸中にはあったのかもしれない。(さらにいえば「この新米教師に俺の小説を読ませてあげたい!」とまで思ったかも?)いずれにしても、この『砂場の少年』はこれまで述べてきたような理由から、いわば灰谷さん自身の懺悔録のようなものであるという言い方もできるに違いない。自らの「麻痺」していた過去を振り返っては言葉に昇華するという作業は、まさに懺悔そのもののような気がしてならないのだ。

さて、それで最初に書いた“灰谷文学との僕なりの接し方”ということだが、以上のような思考の経緯から、それは「灰谷文学に真正面から定期的に触れる」ということに尽きる。そうすることで、その時点での自身の教育実践に対する反省の眼差しを得ることができるからだ。灰谷ワールドそのものが大事なのでも、いわんや正解なのでもない。灰谷ワールドに触発され(続け!)ることが大事なんだと思う。そして、その先に具体的な状況に身を置く自分なりの正解を何度も思い描き直すことが大事なんだと思う。それゆえ、この日記の冒頭にも挙げた“現在の津田淳の問題として「叱れる先生にならねば」と胸にとどめておくことは必要である”という結論にもある程度の重みを認めることができよう。仮に、僕が教歴を積んで諸嫌悪感を「麻痺」させてしまったならば、つまり一段上の場所から生徒を叱りつけることを当たり前のように感じるようになってしまったならば、今回の結論は一転してタブーとならなければならない。しかし、初めにも書いたように、僕自身が無意図的・直感的にもそのように反省してしまっている“若輩者”である以上、それはそれとして、やはり克服せねばならないと思うのだ。そして、その軌道修正役として、僕は灰谷文学をパートナーに選んだわけです。

 



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