2003年12月22日(月) 「波乗りのように」

眠い頭をぶら下げて、今日も朝早くから学校へ行く。終業式。本日の授業のない非常勤講師の僕に登校せねばならない義務はないのだが、しかし用事を残してしまっていた。つまり、一学期と二学期の成績点をあわせて四割という進級ボーダーに達していない生徒たちに「救済」課題を手渡さねばならないのだ。氷のように冷たい風の吹き付けるいつもの朝の通学路を、寝不足と二日酔いで重くなった頭を両肩の上に乗っけて歩く。すると、ふと地下鉄にて、教え子の一人と同じ車両に乗り合わせた。普段あまり僕とは喋らない生徒なのだが、いかんせん車両という閉鎖的な空間にあって、しかもそこに乗り合わせていることに気づいてしまった以上お互い無視するのも気まずかったのだろう、僕らはたどたどしい言葉のキャッチボールを約十分ほど続けた。ただ、そのたどたどしさは、そのまま新鮮さの証でもあった。半年以上も顔を合わせていながらろくにプライベートな話をする機会のなかった二人の人間が、お互いに少々の緊張を胸の奥で飼い慣らしながら、これまで見えなかった(或いは見ようとしなかった)相手の人間性を手探りで一生懸命まさぐりあう。その不器用なキャッチボールは、必死な不器用であるがゆえに、結果的には僕の心を少し温めることになった。

それでも、彼と駅の改札で別れると、頭痛のオーケストラは再び不協和音に満ちた演奏を再開する。原因は、昨夜の飲み会にある。昨日、僕の所属しているソフトボールチームの忘年会があった。地元の小学校のグラウンドに昼間お邪魔して練習した後、夕方から監督の自宅にてお寿司を囲みながらお酒を交わす。昼間は、練習試合を二試合行った。一試合目の相手は、監督曰く「七十%くらいの力で戦わなあかんチーム」で、工事現場で使われている黄色いヘルメットのまま、バッターボックスのみならずピッチャーマウンドにまでも立ってしまうような人たちから成る、即席のチームだった。聞けば、みな監督の友人らしい。ただ、こちらも今季地域の二部リーグで優勝したとはいえ選手の集合状態はがんばしくなく、僕は即席でサードを守ることになった。その初回、さっそく打球がまっすぐこちらへ飛んでくる。思いの外、速い。バウンドにタイミングをあわせて取りにいったのだが、ほんの少しだけイレギュラーしたかと思えば、次の瞬間には僕の左胸を打球はすでに殴打していた。エラー(しかし草ソフトの記録ではヒット)。かねてより右中間から眺めながら大変そうだなとは思っていたが、やはりここは大変なポジションだ。

結局、この平均年齢で六十を超えていそうなチームに、僕たちは初回に七点もの失点を重ねた。監督は七十%くらいの力で戦えといっていたが、こうなれば自ずと闘争心は熱を帯びてくる。僕のバッターボックス。先に打球を受け、時間が経つほどに痛みを増してくる左胸を気にしながらも、黄色いヘルメットで首にタオルを巻いたマウンド上の朗らかなオジサンを、僕は真顔で見据える。実を言うと、僕はこのチームに入って以来、エラーがヒットと記録されたことはあっても、クリーンヒットはまだ一本も打っていないのだ。このあとすぐに忘年会もあることだし、このままでは年を越せない。そう思い、気を引き締め集中して、緩いボールをじっと見つめながらフルスイングした。すると、打球は低い軌道を描きながらセンター方向に飛んで行き、中堅手の前でポンと落ちた。やった、やっと初クリーンヒットだ。一塁ベース上でベンチの方を振り返ると、みんなこちらを見て、手を叩きながら、満面の笑みで喜んでくれている。嬉しさのあまりに、その勢いで盗塁をしてやろうかとも思ったが、再び「七十%くらいの力で戦わなあかん」という監督の言葉を思い出し、それはやめた。ただ、この嬉しさの波はそのような自粛で治まるものではなく、結局僕はこの試合、五打数の五安打(一四球)、しかもその全てがクリーンヒットという大当たりだった。続く第二試合でも、今度はちゃんとしたチームユニフォームに身を包んだ本格派の中年ピッチャーが相手だったのだが、それでもセンター返しのクリーンヒットを一本打つことができた。どうにか、来期に希望を繋げることができたようだ。ただし、守備のほうでは次に始めてレフトを守ったのだが、夕陽に遠近感を奪われるなど散々な内容だったので、こちらは来季に向けて、希望よりも不安を色濃く残してしまった。

そうして、いよいよ待ちに待った忘年会。総会という名目の示すとおり、普段の練習や試合ではあまり顔を合わせないような人とも、この場ではひと時を共にすることになる。僕の正座した座布団の右隣の座布団であぐらをかいでいるおじさん(Kさんとしておこう)も僕にとってはそのような見慣れぬ人の一人だ。これまで何度か一緒に試合に出たりしたことはあるものの、あまり親しく話したりしたことはなかったので、それゆえ初めのうち僕は、少々戸惑いながら硬い表情をずっと崩すことができずにいた。しかし、このKさんが実は相当のクセモノで、もうかなりの年配でいらっしゃるのだが、元気、元気。缶ビール片手に、僕ら若手にアルコールを強要しては若手から返杯の仕返しをされ、まずひとつの座布団にずっと座っているということが殆どない。いつしか僕も、気がつけば顔をシュウマイのようにくしゃくしゃにしつつ「どうぞ、僕の酒を飲んでください」などと申し上げながら、十年来の部下のようにKさんのコップへ缶ビールを注いだりしていた。また、そのまた右隣のおじさん(Tさんとしておこう)ともまた、僕はこれまで一度しかあったことのない間柄だったのだが、宴会が進み空き缶の本数が増えるにしたがって、笑顔で言葉を交し合うようになった。Tさんは今日の僕の守備の拙さを僕の履いていた運動靴に見たらしく、「スパイクを買ったら全然ちがってくるよ」と熱心にアドバイスしてくださった。ただ、そのアドバイスもアルコールに浸されると迫力が失われていくもので、宴会が終わるまでに僕はこの忠告を、少なくとも十回以上は聞き重ねる羽目になった。宴会が終り、監督の家を出て駅へと向かう途中でも、なお「スパイクを買ったら全然ちがってくるよ」と重ね重ねアドバイスして下さった。別の意味で、それはありがたかった。

昨日と同じ今日なら、生きていてもつまらない。新しい出会いの瞬間にはいつも気まずさや居たたまれなさが付きまとうものだが、しかしその向こうにしか(あるいはその中にしか)人間を幸福にする温もりや輝きもまた無いように思う。そこで大事なのは、そうした居たたまれなさを居たたまれなさとして自覚しつつ、まさに理性的に、相手と自分のあいだを満たしている空気の流れに上手く身を委ねんとすることではないだろうか。そうして、一つの新しい波に自分自身をシンクロさせることに成功するごとに、僕らはほんの少しずつ、また人間的に磨かれていくのだろう。左胸は、まだ痛い。

 



2003年12月10日(水) 「まどろみのなかで A」

しかし、睡眠一時間の傷跡は思いのほか深く、複数の人間の気と気がぶつかり合って生まれる場の流れというものを中々そう簡単には読みきれず、したがって、その場の時間の流れにもまた僕は上手に乗ることができない。「座談会」を始めてからもう一時間以上たつのに、試験範囲の続きを始める以前に、その復習の半分すら終わらない。生徒たちは楽しそうに勉強しているようにも見えた気もしたが、しかし勉強の舵取りという面で、僕は明らかにその役割を全うできてはいなかった。

そうこうしていると、ふと、教室の外にいくつか人影のちらつくのが僕の目に留まった。注意してよく見てみると、それは四組の生徒たちだった。思えば、ここは四組の教室なのだが、いま輪になっている生徒たちのなかに四組の生徒は一人もいない。学級としての団結意識が強いことは結構なのだが、その反面―なにも四組だけとどまらず僕の受けもっている生徒全般に―他クラスの生徒と一緒に勉強したがらないきらいがあるというのはいただけない。教室を借りている申し訳なさと、あと四組以外の生徒にえこひいきしているとは思われたくないという居たたまれなさから、衝動的に僕は席を立ち、教室の扉を開けて「一緒にやろうや」と廊下の生徒に声をかけた。もしかしたら僕の口調はやや威圧的で神経質だったのかもしれない。黙ったまま、呆然としたような表情で、生徒たちは首を横に振った。しかし、彼らの手には現代文の教科書がしっかりと握られている。ため息をひとつこぼした後、今度は表情を緩めて、

「じゃあ、いまやっているクラスが終わったら一緒にやろか?」

そういってやると、彼女らはパッと表情を変え、弾むような声で、

「ほんまに?でも先生二回やらなあかんから大変やん。でも約束やで。四時まで待ってるわ、四時に待ち合わせな。」

そういって、パタパタとスリッパの音を弾ませながら隣の空き教室に消えていった。腕時計に目をやると、午後三時。喉のほうに意識をやると、すでに声も枯れ気味。頭のほうは、意識を向けるまでもなく、ずっしり重い。それでも、「待ち合わせ」といわれればどこからともなくやる気みたいなものが沸いてくるから不思議なものだ。気持ちを切り替えて、教室に戻る。けれど、やはり四組の生徒を待たせながら四組の教室で授業をするという居たたまれなさは一向に消えそうにない。結局、生徒に「悪い」と謝って、僕は自習教室を二組に移すことにした。試験範囲の続きに関する、徹夜で仕込んだ説明は、この時点で諦めた。

さて、場所を移して、再び仕切りなおし。ただ、この時点で本日の長期戦が確定してしまった以上、僕は自分のノートを閉じることにした。青のボールペンですでに答えの書き込まれたノート。つまり、それまで頭の片隅に置いていた出題問題のことを一切忘れ、ひたすらこの「座談会」における話の流れに乗ることに勤めることにしたのだ。僕の頭の中のものをそっくりそのまま教え込んでやろうと息巻くのではなく、リラックスしたまま彼らの発言に耳を傾け、話の流れの軌道修正くらいの役割に徹しようと思った。もちろん、体力温存のためだ。体力温存のためだったのだが、しかし、皮肉にも、その結果僕たちの学びは活き活きしだした。自然体で臨んだのが却ってよかったのか、牛歩のような足取りだった授業進行のペースは、一転ウサギのような軽やかさを見せたのだ。

「はい。じゃあ太宰治の理想としている『単一表現』ってどういうもんや?」

「え〜っと。『素朴な、自然なもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴まえて、そのまま紙に写し取ること』やな。」

「おお、たしかに教科書にはそう書いてるな。じゃあ、そういう『単一表現』をすることで含まれずに済むものって何や?」

「先入観とか、固定観念とか、そういう俗なもんとちゃうかな。」

こうして、無事に「待ち合わせ」時刻を迎える頃には試験範囲の復習を最後まで終え、まだ続きをやりたそうな生徒数人の物足りない眼差しを背中に感じながらも二組の教室を後にし、どうにか遅刻することなく、僕は四組の隣の教室に戻ることができたのだった。

さぁ、第二ラウンド。心機一転、気持ちを昂ぶらせようとする。だが、そのように意識している自分を自覚できてしまえるくらい、どうやら全身の疲労はピークあたりに達しているようだった。眠い。眠いを通り越して、目のあたりがヒリヒリする。ただ、ここで気を抜いてしまってはダメだ。これじゃ、俗なサラリーマン教師と変わらんじゃないか。今日は現代文の授業もないのに、わざわざ教科書を持ってきてくれた、そしてこんな時間まで待っていてくれた目の前の彼女らに申し訳がないだろう。しかし、だからといって変に意気込んでしまってもいけない。先に二組の教室で掴んだ極意―ノートを閉じて話の流れに乗ることをここでも活かさねばならない。そんなことをあれこれ目まぐるしく脳裏に思い浮かべながら、僕は先ほどと同じように机を輪の形に並べて、椅子に深く腰掛けた。そうしながら、一人ひとりの話に耳を傾けてはポツリポツリ話の流れを修正するようにコメントを挟んでいたのだが、そうしていると、今度は授業中にあまり話を聞いていない、あるいは聞いてはいるけれどあまりその内容が頭に整頓されていない生徒も何人か同席しているがゆえに、先のクラスに較べて進むペースがやや遅くなっているということに気がついた。

「じゃあ、太宰治から見た井伏鱒二って、どんな人やった?」

「太宰のお弟子さん!」

「ちゃうちゃう、宿屋の主人やって!」

「え〜私、ずっと太宰の実家のお兄さんやと思っとった!」

真面目な顔で、もう言いたい放題である。でも、それでも僕は、意地でも、ここでノートを開くような真似はしない。しないのだが、しかし、一時間が経過しても消化できたのはまだ試験範囲の四分の一程度。午後五時。時計の針の音は、いよいよ僕の尖った神経に強く響き始めてくる。同時に、先ほどからポケットの中で何度かブルブル震えている携帯電話にも、神経は自ずと向いてしまう。眠い。生徒たちの一生懸命な表情を目の前にしながら、ついそのバイブレーションの相手まで想像してしまう。おそらく、大学の先輩だろう。そういえば今日一緒に飲みに行く約束をしていたのだった。とめどなく、携帯は鳴る。しかし、僕は出ない。出ないから、程なくしてまた鳴る。心ここに在らずして、ポケットの中に在り、である。いかん。集中。そう思って、ひとつ深呼吸を深くしたとき、ふと、冷ややかに校内放送が流れた。

「本日の下校時刻は、六時です。六時になりましたら、すべての門を閉鎖します。まだ残っている生徒は、そろそろ下校の支度をはじめなさい。」

人気のない校舎の片隅に、ひとつの決断の時が来た。すでに答えの書き込まれた僕のノートを開いて、猛ダッシュで時間内に試験範囲まで終わらせるか。それとも、このままのペースで―ペースアップは生徒たちに委ねて―「座談会」を続けるか。もちろん、生徒たちがしきりに要求してきたのは、前者の方だった。

「出そうなところ、パパッと言ってくれたらはよ帰れるやん。」

それでも、僕は彼女らのふくれっ面を目の当たりにしながらも、同時に逸る思い―さらには眠気―を抑えながらも、後者の態度を貫いた。もちろん、試験に出そうな箇所をここで口走ってしまうことはある種の不平等にもなろう。ただそれ以前に、仮に誰からも非難されない保証があったとしても、パパッと言うことには率直に意味がないと僕は思ったのだ。たしかに、その方が彼女らの点数は伸びるかもしれない。しかし、もしそうなっても、その点数にはやはり意味がない。そんな丸暗記の結晶は、俗でつまらない。しかし結局、おかげさまで時計の針が六時を指す頃になってもなお、試験範囲の四分の一ほどは手付かずのまま残ってしまった。申し訳ない。中途半端ながらもどうにか講習を終えてから冷静になって考えてみると、独りよがりなポリシーを貫いたものの、一体この神経質な口調、態度で以って今日僕は彼女らに何を伝えることができたのだろうか。少々、いや、かなり、まどろむように不安は募る。けれど、内心赤子のように怯えているこんな僕に向かって、彼女らは一言、

「今日は遅くまでありがとうな、先生。」

そう言ってくれた。笑いながら、口々に言ってくれた。外は暗く廊下は静かだったが、僕の世界は急に賑やかになった。何を伝えられたか分からないけれど、とりあえずこの一言を頂けただけでよしとしよう。意味はあったということにしよう。そんなことを思いながら、僕は必死にエラそうな顔を造って、

「こんだけスペシャルな補習やって本番赤点やったら、もう欠点者課題は他の人の十倍やぞ。」

と言い返してやった。そうして、「ヒドイわ〜」という花束のような笑い声が長い廊下の向こうへと消えていくのを見とどけると、ふと僕は、ほぼ徹夜して用意したプリントの束と、あと講習料の申請用紙が一枚、自分の教科書に挟まっているのに気がついた。職員室に戻り、僕はそれらをまとめて自分の机の横のゴミ箱に投げ込んでやる。証拠はないが、この時の僕は多分にんまりしていたと思う。(完)

 



2003年12月7日(日) 「まどろみのなかで @」

未だに、少し眠い。どこか、夢を見ているようですらある。昨夜は8時間たっぷりと眠ったのに、まだ体が重い。一昨日、たったの一時間しか眠れなかったことが、まだ尾を引いている。

早く布団に入ってもよかったといえばよかったのかもしれないが、ある種のこだわりがそれを阻止した。一昨日の土曜日、明け方の五時過ぎまで何をしていたのかというと、授業プリントの作成だった。とはいえ、その努力の結晶を授業で使うのかといわれれば、実のところそうでもない。いま、一年生の授業では太宰治の『富嶽百景』を扱っているのだが、僕自身の能力の無さから、期末試験までに授業で最後まで終わらせることができなかった。それゆえ、生徒たちのノートにある富嶽百景の内容は無様な尻切れトンボ状態であり、そこで僕は、土曜日の放課後に希望補習の実施を志願したのだった。ただ、その現代文の期末試験が、週明けの月曜日にさっそくある。まさに、直前の希望補習だった。それゆえ、希望者の数はそんなには見込めない。けれど、罪滅ぼしの意味も込めて―したがってそれは生徒へのある種の責任転嫁を意味するのかもしれないが、とにかく志願せずにはいられなかった。

睡眠時間、一時間。学生時代はそんな一日でもどうにか乗り切っていられたが、昨今中々そう簡単にいかないのは、体力の衰えのせいか、それとも精神が成熟したせいか。なんにしても、こんな事態、勤め始めてからは初めてのことである。この日は一時間目と二時間目に三年生、そして四時間目に一年生のクラスでそれぞれ現代文の授業があるのだが、そのうち三年生の二クラスはすでに試験範囲まで終えていたので自習ということにした。眠いからではなく、試験前の貴重な時間を有効に使って欲しいから。そう思おうとして、そう思おうとしている自分に聊かの嫌らしさを僕は直観した。この時期、三年生のクラスが騒々しさを増す必然性は前回の日記にも記したが、それゆえベテランの先生の中には、「早いトコ範囲まで終わらせて自習させるんが一番や」と口ぐせのようにいう人もいる。そして、経験上それは強ち間違ってもいないと、僕には感じられもする。というのも、生徒の大半は授業中に別の教科の課題を始めたり、おしゃべりしたり、そしてそれを注意されるとふて腐れて眠ってしまったりという按配であって、それゆえ、わざとペースを落として試験範囲内の内容を深く扱うよりも、少し試験前に時間を余らせてサボっていた分のノートやプリントを完成させる時間を設けてやることのほうが、生徒のため―少なくとも、得―になることが多いのだ。だから、僕も、早いトコ範囲まで終わらせて、自習させた。ろうそくのともし火のような申し訳なさは、眠気に吹き消されていた。

空きの三時間目、放課後の希望補習用のプリントを抱いて印刷室に入る。今朝方、数時間前に完成したばかりのプリントだ。一応、教室のキャパにあたる四十四プラス一部を印刷し、職員室に戻り、そのうちの一部を自分のノートに添付した。そして、そのノートプリントの空欄に、生徒に答えさせるべき答えを予め記入しておく。しかし、はかどらない。記入欄を間違えたり、数行前の文章の内容をふと忘れてしまっていたり、とにかく頭の働きが著しく衰弱しているということがよくわかる。四時間目、一年二組の教壇に立つ。しかし、平静を装うのが精一杯で、やはり思考は衰弱したままだ。うまく空気を読めない。うまく空気を読めないから、教壇の上に置いた授業ノートにばかり目が行ってしまう。生徒に答えさせるべき答えの予め記入されてあるノート。問いかけは、自ずと誘導尋問になってしまう。つまらない空気になってしまう。つまらない空気を自覚的につまらなく吸い込みながらも、そのつまらなさをどうにもできないこの不甲斐なさ。結局、時間を余らせるつもりが終りのチャイムぎりぎりのところで、どうにか試験範囲を最後まで終えた。「自分で自分を追い詰めてるな」と呟いてしまったのを生徒に聞かれてしまったのが、今思うと恥ずかしい。

そして昼休み。補習の授業内容の構想を練る。しかし、駄目だ。思考回路はいっこうに回復しない。息抜きせねば。そう思ったが、そう思っている神経自体がすでに弱りきってしまっているのだから、そこから気分転換の妙案など浮かんでくるはずもない。いたずらに、何度も教科書の文章を読み飛ばしては、数行戻るを繰り返す。時間は刻々と過ぎていくのにはかどらない。時間が無いのではない。集中力がないのだ。さらに、僕の集中力をかき乱そうとするかのように、入れ替わり立ち代り、生徒が遅れた提出物を出しに来たり、あるいは明後日の試験に備えて質問をしに来たりする。それにしても、その数が多い。用があるなら、この後の補修のときでもいではないか。ということは、ここにくる生徒は十中八九、今日の補習に出るつもりはないということだ。思ってはいたが、思ったよりも参加数は少ないのかもしれない。そう思いながら、少しホッとしている自分を、後になって僕は情けなく思った。結局、わざわざ希望補習を志願してまで何を伝えたいのかということを―昨夜はきっちり把握していたはずなのに―自覚できないまま、時計の針に追い出されるように僕は職員室を出、一年四組の教室へ向かった。

不安を振り払うかのような手つきで、教室の引き戸を一気に開ける。ガラッ。教室の中に眼をやると、そこには十数人の生徒が腰を下ろしていた。二組の生徒の中に、三組の生徒が二人。待ちかねたような眼差しで、こちらを見ている。ここでもまた僕は少しホッとしたのだが、今度のホッは先ほどのホッとは一味違う。少し、世界が明るくなったのを僕は感じた。教壇に立つ。目の前には、ガラリとした教室に、十数人の生徒。変な感じだ。そして、おそらく衰弱気味な僕の頭はもっと変だったのだろう、僕は目の前の生徒たちに向かって、こう切り出した。

「せっかくやし、机を円にして勉強せえへん?」

すると生徒たちは、いっせいに甲高い歓声を上げた。「ィエーイ!」と叫びながら飛び跳ねる奴もいた。本当に、元気で面白い奴らだ。手早く輪の形に並べられた机に、僕も腰を下ろす。すると、同じ目線の高さに、見慣れた生徒たちの顔が新鮮に見える。座りながら、授業を始める。

「じゃあ続きを読んでくれ」

「寝るまえに、部屋のカーテンをそっとあけて硝子窓越しに富士を見る。月のある夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立っている…」

いつものように指名し、いつものように朗読するのだが、その言葉の物理的なベクトルがいつものように上下ではなくこの日は前後ろだったので、すごく居心地がよかった。おかげで、少しずつではあるが、その輪読授業では次第に冗談を挟めるようにもなった。ポケットの中で二度ほど携帯電話が震えたが、もちろん、取る気などなかった。(続く)

 



2003年12月4日(木) 「師走を迎えて」

十二月。旧暦で十二月は「師走」と書く。いつもは平静さを欠かない師匠ですら、この時期に限ってはあちこち走り回らねばならない。それくらいに毎日がせわしくなくなる、この十二月。それゆえ、未熟な僕もまた忙しさに翻弄されていることはいうまでもない。

久しぶりに、年賀状を書いている。小学校に通っていた頃は、凝った力作の年賀状をたくさん送っては正月朝一番に郵便受けの前で返事を心待ちにしていたものだったが、中学、高校に進むにつれてその数も熱意も次第に衰えて行き、昨年に至っては、送った年賀状の数と受け取った年賀状を合わしても片手で数えられるほどにまでなってしまった。そんな僕が、今年は久しぶりに年賀状を書く。時間に追われてでも、書く。それは、なにも凝りに凝ったハガキを創ろうという在りし日の芸術的意欲がこの胸中に再び湧き上がってきたというのではもちろんなく、社会人一年生、単純に職場の先輩方への新年の挨拶のためだ。デザインは、インターネット上で拾ってきたものをそのまま採用した。

親しい友人同士ならば、新年の挨拶はメールでもいいだろう。現に、去年まではそうしてきたし今年も概ねそうするつもりだ。ただ、社交場での付き合いとなると、挨拶の動機も、それゆえその仕方も、いささか違ってくる。年賀状好きな父は、よく「年賀状は社会の潤滑油だ」と言う。たった五十円。でも、年の初めにその五十円を互いに交し合うことで、その一年間の人間関係が滑らかなものにもなりうるということだろうか。そう考えれば、なるほど、と今は少し思う。プライベートな雑談を交し合うでもなく、あるいは悩みを語り合うでもなく、けれど要所要所では社会の荒波の中で必死に手を差し伸べ合うような人間関係。そういう関係に、僕はこの一年よく支えられてきた。そして、やはりそうした恩人にメールで新年の挨拶をする気にはなれないのだ。これまで僕は、人間関係は概ね親密なものと打算的なものとに分類できると考えてきたが、いま表書きに記した宛先に込める僕の思いは、少々、複雑なものである。打算といわれれば、打算かもしれない。ただ、冷静に考えてみて、この宛先に名を連ねる人達と来年以降も顔を合わせ続けるという予定は、いまのところ無い。そう考えれば、強ち打算のみとも言い難い。感謝の念も―社会人らしいビヘイビアをとろうという自己満足的な衝動を除けば―それなりに大きいのだ。

ただ、目下僕の日常を本質的にせかしてやまないのは、実をいうと年賀状の作成というよりは、やはり期末試験の問題作成ということになろうか。今も机の上、ノートパソコンの向こうには、おびただしい数のプリントの山。たとえ口約束でも、軽はずみに締結してしまっては後に恐ろしい事態を招くもので、半年以上前に交わした「二学期は問題作ってみるか?」「本当ですか?じゃあ、はい。」という社交辞令と冗談が半々の問答に、僕の睡眠時間は今、砂漠に滴る汗のように、とめどなく吸い尽くされている。きっと、あれはこの時期の忙しさを見越した上での、ベテランならではの誘導尋問だったのだろう。僕が甘かった。

一方、この十二月という季節は教師も走り回るのが、生徒もまた走り回る。しかも、卒業できるかできないかという瀬戸際を綱渡りでフラフラ走っている生徒の形相は、並大抵のものではない。普段は騒がしくてどうにもならないようなクラス。それは、今も変わらない。ただ、面白いもので、騒ぐ生徒の顔ぶれが二学期当初のそれとは逆転しているきらいがある。つまり、いま騒がしいのは、これまでわりと真面目に授業を受けてきて、推薦などで進路も決まり、単位上もほぼ卒業が内定している生徒たち。そして、いま必死の形相で机にかじりついているのは、これまで授業もろくに受けず、いよいよ卒業に対して危機感を抱き始めた生徒たち。なんにしても、クラスの騒がしさはあまり変わらない。変わらないのだが、あれほど勉強に対して無関心だった生徒たちが一枚一枚のプリントを重宝しつつ必死に書き埋めていく様は、少々可笑しくもあり、また可愛くもあり、見ているだけでつい、こちらの表情も緩んでしまう。

しかし、そのように表情を緩ませている自分に気がついて、すぐさま僕は「これでは駄目だ」と思い返す。思い返そうとする。なぜなら、いまになって必死に勉強(らしいこと)に取り組む彼らは、決してその学びの楽しさに気づいたというわけではなく、あるいは僕という人間に信頼を認めたというわけでもなく、それこそ打算的に、ただ卒業するためだけに、いわばこうべを垂れているに過ぎないのだ。それゆえ、そんな彼らに対して表情を緩め、満足にも似た心情を抱くということは、それはそのまま教権という権力の飢えにあぐらをかくという態度ということになりはしないだろうか。強者の理不尽な力の前に弱者がひざまずくの見て、強者がほのかにニヤリと笑う。そんなイヤラシイ自分に、ふと気がづいた。駄目だ。そういえば、僕はこれまで、ことあるごとにその授業をろくに受けていなかった生徒たちに対して、「授業に参加する意思はあるか?」と重い口調で問いただしてきた。そして、彼らはきまって反抗しなかった。まさに、教権の発動である。「教師に暴言を吐いたら停学」なる、私立学校特有のルールによる鎮圧である。甘えてばかりはいられない。来年、僕の行くかもしれない学校は公立、しかも、日本全国の中でも特に「荒れ」が進んでいるといわれる東京都の公立学校なのだ―もちろん、甘えてばかりいられない理由は、これだけではないが。

師匠も走り回る十二月。やっぱり僕も、走り回る。走り回らねばならぬのならば、この迷走が現実からの逃走とならぬよう、その進路はともかくせめて首だけでも、必死に、前を向けていたい。

 



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