2003年10月20日(月) 「動機づけ」
このごろ本を読んでいる。否。正確にいえば、読み直している。学校はいま中間試験の真っ最中で授業の準備もさしあたりは不要なので、以前に流し読みしていた文献を、今度はノートを取りながら読み直しているのだ。
いま僕が関心をもっているのは「動機づけ」ということ。つまり、誰かがこんなふうな気持ちになるように仕向ける、その仕向け方。あるいは、何かに対する欲求そのものについて。もちろん、この背景にはいうまでもなく実際に授業を行う際に生徒たちが意欲的に学習に取り組むように「仕向けたい」という思惑があるのだが、ふと冷静に自身を振り返ればその豹変振りについ苦笑いのひとつでもしたくなる。
本を読んで勉強するという習慣が僕に本格的に身につき始めたのは、恥ずかしながら大学時代の研究会(ゼミ)においてだったと思う。研究会で読む本はいつも難解で、それゆえノートを取ってしても、討論なしには自分なりの明確な理解にすら至れないものばかりであった。わずか二年の期間であったが、僕はそこで終始、客観の意味も問わないまま「客観」ということに固執していたように思う。たとえば、「人は人と助け合って生きなければならない」といった言葉。パッと見では正論に違いないのだが、しかし当時の僕はいつもそこに「なぜ」を挟まざるをえなかった。「恣意的」という言葉が(時に好きだったが)嫌いで、「人は人と助け合って生きなければならない」といったことでも、心情ではなくどうにか理詰めで納得したいという想いがあったのだ。
そして今、そんな僕が「動機づけ」についての本を読んでいる。生徒たちが意欲的に学習に取り組むように「仕向けたい」という思惑を抱きながら読んでいる。そうして、自分の生きているフィールドが本質的に変わってしまったのだなということを少しだけ実感する。つまり、自らの関心事が、≪人間は、世界は客観的にどうなっているのか≫といったことから、≪自分が生徒を前に実践していく上でどうするのが効果的か≫ということへと、すっかりシフトしてしまっているのだ。社会的な責任に心地よく縛られながら、「学習しなければならない」を前提に読んでいる。もちろん、「客観」への憧憬も消え失せてしまったわけでは決してなくて、「動機づけ」についてメモを取りながらも、こういう人間のメカニズムを通してどういう人間像が描けるかといったことが今でも実際に強く脳裏を過ぎったりもする。ただ、それでもあの頃と違うのは、そうやって脳裏に浮かぶ切実であるべき関心を、今ではひとまず措こうとする「動機づけ」が今の僕には根付きつつあるのだ。本を読む。昔の癖なのか、つい≪人間とは≫という問いを立てる。そして、「これはマズイ」と思いなおして生徒たちの顔を思い浮かべる。そんなことを、このところ繰り返している。
さて、その「動機づけ」だが、これには周知の通り二種類のものがあるとされている。いわゆる「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」である。そして、さらに周知の事実を書き連ねるならば、このところまで教育界でずっと注目されてきたのは後者、つまり外から与えられる報酬のための手段としてではなく、ある活動をすること自体を自己目的的に求める欲求のほうである。生徒の学習の場面で考えるならば、「いい大学に入るため」とか「先生や親に褒められたいから」といった理由で勉強させるよりも、「勉強そのものが楽しいから」といった理由で学習させるのが望ましいとする雰囲気が強くある。ただ、いま読んでいる本(『学ぶ意欲の心理学』市川伸一著、PHP新書)で面白いのは、このような風潮に完全には迎合せず、必ずしも「内発的動機づけ」が良くて「外発的動機づけ」が悪いとは言いきれないと主張されている点である。つまり、なんら教科内容に関心を示していない生徒に「面白いですよ」と語りかけても馬耳東風に堕するのは明白であり、そういう生徒にはその“入り口”においてのみ「外発的動機づけ」こそが有効だと著者はいうのである。
そして、この主張はそのまま僕自身の研究会時代に符合する。たしかに研究会の扉を叩いたときに≪現実の人間像について≫みたいな関心もおぼろげながらにはあったのだが、しかし輪読という形式を取る研究会に入り、そうしたテーマが明確になるまでの僕を強く支えたのは(「単位を落としたくない」は殆ど感じなかったが)「話題から取り残されたくない」、あるいは「先生に褒められたい」といった“邪(よこし)ま”なものだった。しかし、そうした“邪ま”な動機に支えられて身につけることのできた慣習によって、いま僕は「動機づけ」に関する文献を、丹念にメモを取りながら読んでいる。武器用にではあるが読むことが出来ているのだ。
僕の担当している国語という教科は、苦労も多い分だけ楽しみも多いものだと僕は勝手に考えている。国語について一般的に言われている格言がひとつあって、それは「概して他教科は≪教科内容を≫教える科目だが、国語は≪国語で≫何かを教える教科だ」というものである。それゆえ、もちろん教科書に載っている評論文なら評論文の内容を理解させることも肝心なのだが、しかしその営みを通して、この「何か」を教える余地が国語にはある。それゆえ、繰り返すが国語という教科は僕にとって苦労も多い分だけ楽しみも多いのだ。この「何か」は、コミュニケーション能力であってもいいし、文章をすらすら読める力であってもいい。ただ、僕がつい教えたくもなり、またそれゆえ殆ど教えられていないといつも自省してしまうことは、個人的にも(恣意的にも!)僕が研究会で学んだ「何か」、たとえば分からないことは本を探してきてメモを取ってでも、そして自分以外の人間と話題を共有して討論してでも分かろうとするという態度であったりする。では、そのためにどうするか。その大きな柱の一つは、やはり「提出期限」といった“邪ま”な動機を効果的に与えてやるということになってしまう。基本的に現代文という教科(もしかしたら他のあらゆる科目も)内容は、どうにも高校生には不人気なのだ。
そして、現場で生徒に語りかけるのは人間である僕なのだから、この僕自身に人間的な修養がもっと必要なのはいうまでもない。≪現実の人間像≫を追い求める中で開かれる世界、人間的に磨かれていく側面があるとすれば、やはり実践家にのみ専業するのは得策ではないように思う。教師でありつつ、人間として向かい合うのが僕の掲げるひとつの理想。それゆえ、いま読んでいる「動機づけ」に関する内容についても感動した箇所については、たとえ種を明かすような格好になろうとも、素直に生徒に語りかけてみてもそれはそれでいいことだと思っている。
2003年10月11日(土) 「判決」
たとえばある試験について、“受験日が大安で結果発表日が仏滅”というケースと、逆に“受験日が仏滅で結果発表日が大安”というケースならば、どちらが好ましいといえるだろうか。この問いに対して、僕は胸を張って後者だと答える。
ツイていない日というのはある。こんな日は、何をしても上手くいかないものだ。厳密にいえば、何をしても上手くいっているような実感に包まれることがない。何故かと問われれば答えに窮してしまうが、やはり経験上このようなツイていない日というのはあると僕は思う。そして、僕の従来の信条の一つとして、こういう日は一秒でも早く終わらせてしまうべきだ、というのがある。早く寝るか、趣味に興じるか。なんにしても、昨日の金曜日もまた、僕にとってそんな一日だった。
昨日は体育祭の翌日であり、かつ三連休の前日ということで、きっと生徒はあまり勉強に集中できないだろうということで、少し趣向を変えて授業をすることにした。一年生の現代文の時間で日本のポップスを二曲ほど流したのだ。BUMP OF CHICKENの「メロディフラッグ」とDragon Ashの「Viva la Revolution」。どちらも今の高校生には馴染み易い曲だと思い、まさにしたり顔で授業に臨んだのだが、しかし結果としては多くの生徒を眠りにつかせてしまうことにしかならなかった。もちろん、この二曲を選んだのには僕なりの理由はある。すなわち、いま授業で扱っている評論文における筆者の主張が「時計の刻む時間に支配されず、いまという永遠の瞬間を解放しよう」というひどく抽象的なものだったので、それに類するメッセージを音楽を通じて、論理ではなくフィーリングで生徒に理解させたかったのだ。そこで、そのためには若干の誘導というか補足説明が要るだろうと僕は考え、曲をラジカセで流す前に歌詞と教科書本文の内容とを照らし合わさせる作業を取り入れたのだが、これが失敗だった。ここで生徒は退屈してしまい、したがってその後に流れる曲はまさに生徒にとっての“子守唄”と化してしまったというわけだ。
力不足といえば、力不足だ。ただ、先日のクラスではこれと同じ授業がわりと項を奏したことということも考えれば、より厳密には集中力不足といったほうがいい。その場の空気を読んだ上で語りかけることが昨日はできなかったのだ。では、なぜ集中力が発揮できなかったのだろうか。意志の力が弱いとか、肝が据わっていないとか、色々な表現が可能だろうが、こういうとき僕はきまって突発的に「今日はツイてないな」、「今日の流れは悪いな」などと思ってしまう。このように考えることが自分を磨いていく上で非生産的ではあるとは十二分に知りつつも、つい衝動的にこんなふうに考えてしまうクセが僕にはある。
そして、そのように一日が自覚されてしまうと、ただ目の前で信号が赤に変わっただけで理不尽に道を塞がれてしまったような圧迫感を味わうこともあるし、とにかく思考がことごとくネガティブになっていく。だから、昨日はパソコンを極力開けないようにした。もっと正確にいえば、東京都教育庁のホームページのことが頭に昇ってこないよう必死に努めた。前回の日記にも記したように、昨日金曜日は東京都の教員採用試験の結果が発表される日だったのだが、この悪い一日の流れの渦中に身を置く僕がその結果を確認したところで、“文脈から判断しても”不合格は目に見えていたからだ。もちろん、死刑の如く厳しい結果が僕に突きつけられるであろうことはもう覚悟していた。しかし、そうはいってもやはり受験した以上は良い結果を拝みたいという願望もまた最後まで消せずにいたのである。今日は仏滅の如き流れの悪い日。受験当日もそうだった。でも、明日は大安になるかもしれない。明日は明日の風が吹くのだから。
そして迎えた今朝、部屋を出てトイレに入ろうとすると、すでに先客。さっそく出鼻をくじかれた。嫌な流れだ。仕方がないから新聞に目をやると、テレビ欄に日本代表のサッカー中継の文字。「よし!」と気を良くした瞬間、しかし今日は友達と飲みに行く約束を兼ねてからしていたということを思い出す。なぜ今日に限って。嫌な流れだ。でも、今日は嫌でも何でも通知書が自宅まで郵送されてきてしまう。そこで、僕は密かに最後のゲン担ぎを考えた。それは、一次試験の結果同様、郵便通知を父親に取ってもらうということだ。ただ、もちろん軽い妄想なので、こんな馬鹿げたことを真剣に頼めたものではない。結局、僕にできるのは“自分で取らない”ということまでで、“父親が取る”ということころは偶然に委ねることにした。
そして午後二時過ぎ。外出していた父親が家に帰ってきて、玄関から僕の名を呼ぶ。父親が取った。それでも半信半疑・ダメもとの心境のまま封筒を受け取ると、思いのほか分厚い。まさかな。「あかんやろ〜」と苦笑いしながら両親の見守るなか封を切ると、封筒の中からは「補欠合格」という小さな文字が、それでいて鋭く飛び出してきた。
率直に、嬉しかった。もちろん「補欠合格」なので採用が内定したわけではない。さらにいえば、これも先日の日記に記したように、これから前を向いて生活し続ける場所として東京が相応しいのかどうかも一度冷静に考えてみたいとも思っている。だから、この嬉しさは「東京にいける!」といった嬉しさとは少しだけ違う気がする。無様ではあったけれどそれなりに教師として評価して頂いたという嬉しさもあるし、また受験に際して宿泊や激励等でお世話になった兄・友人に報いたという満足感も強くあった。単に自尊感情が満たされたという思いもある。このように、とても複雑な嬉しさがこの瞬間僕の胸を満たしのだが、しかし同時にある明快な嬉しさが頭の方を満たしもした。つまり、この「補欠合格」という結果によって、たとえ採用に至らなかったとしても来期の採用試験では一次の筆記試験をパスできるということだ。あやふやだった未来が、徐々にではあるが輪郭を帯び始めてきたことを少しだけ実感した。
こういうわけで、今日は僕にとって大安となった。改めて都教委のホームページを開くと、確かに僕の受験番号があった。しかし、実感としてこの番号は、仏滅のような昨日の段階ではまだ掲載されていなかったに違いないと僕は思う。発表は昨日だったが、この番号は大安の今日、新たに掲載されたはずなのだ。ただ、ではなぜ今日が大安となったのか。あるいは、なぜ今日を大安とすることができたのか。この点については、神様のようなものを想定せずには今のところ説明できない。ただし、神様を想定することは基本的にあまり好きではない。でも、ツイていない日というのはあると思う。嗚呼、この矛盾。
2003年10月9日(木) 「体育祭」
おろしたてのベージュのスーツで自動改札を出る。階段を一段一段踏みしめて「長居駅」の地上へ上がると、空は真っ青で雲ひとつない晴天。腕時計に目をやる。いまごろはちょうど開会式が終わった頃だろうか。今日、ここで僕の勤めている高校の体育祭がある。
第二陸上競技場で開催されると聞いてはいたが、もちろん下見もしていなければ、地図もない。非常勤に今日の仕事はなく、そもそも参加の義務すらなく「好きな時間にいらっしゃってください」ということだったので、迷子になるのも基本的に嫌いではないし、ここは運に任せようと思って道なりに歩いていくと、案の定迷子になった。競技場内から生徒の歓声が聞こえてきたのでそのまま中に入ろうかとすると入り口の看板には別の高校名が書かれてあって危うく会場を間違いそうにもなった。それにしても、暑い。太陽のせいか、それともこの格好のせいか。体育祭といえばGパンのようなラフな格好が普通だと思っていたのに、公立学校育ちで私立の体育祭を知らない僕は、念のため確認の意味を込めて昨日教頭に「格好ってどうしましょ?」と尋ねたところ、いつもの黒のスーツ姿の僕を指して「そういうのでいいと思いますよ」なんて返事を頂戴してしまったものだから、頭はいよいよ混乱を余儀なくされた。サマースーツとはいえ、直射日光に黒のスーツは暑い。いや、それ以前に見た目からして暑苦しい。でも、教頭曰く「そういうの」、つまりスーツ(?)。それゆえ、今日の僕はベージュのスーツ。ちょっとしたパーティにも入れそうな派手目の格好。ただ、こちらはサマースーツではないので風通しが悪く、見た目の色とは裏腹に熱気を内に閉じ込める。どうにか会場を発見して中へ。入るや否や、教頭と目が合い満面の笑みで「どうぞテントの下へ。」と丁寧に案内される。テントの下にいた教職員はTシャツ、ジャージ、サングラスといったラフな格好ばかり。無知は罪だ。
テントの下に腰を下ろすと、目の前の列に校長が座っていた。相変わらずの威圧感は背中からでも十分に伝わってくる。なにやら来賓の誰かと話し込んでいるようだったが、その話も終わってふと校長が後ろを振り返った際に僕と目が合い、まずはお互いに軽い会釈。続く校長の第一声、「東京はもう結果出たん?」まだ気にかけてくださっているのか、はたまた社交辞令なのか、その真意はわからないが、少なくとも嫌な気はしなかった。それゆえ、とても素直に「いえ、明日発表なんです」と僕は返事した。そう返事して、改めて「明日発表なのかぁ」などとついしみじみ思ったりもした。前にこの日記にも記したように東京での面接の結果は火を見るより明らかなのだが、しかし結果がきっちりと出ているのと出ていないのとではやはり次の一歩に込める力が本質的に違ってくる。いわば死刑宣告を待つ被告のようなもので、やはり判決が下されないと死を根本的に受け入れる態勢はとりづらいものなのだ。そういうわけで、ふと来期の自分を想像しかけもしたのだが、きっとそのどれも中途半端な空想に堕するだろうと直観したので、やめた。
テントの中は涼しいけれど聊か気詰まりでもあったので、スキを見つけて生徒たちのいるスタンドへと足を向けた。生徒たちはクラスごとに作成したオリジナルTシャツに身を包み、固まって競技場へと声援を送っている。先日、守口の市立小・中合同の体育大会を観た時も思ったのだが、子どもたちはこういう時、不思議なくらい一生懸命だ。ひとつひとつの競技の勝ち負けに一喜一憂したり、出番の数時間前からガチガチに緊張したり。競技に勝ってあたかも天下でも取ったかのような誇らしげな表情でクラス席に戻ってくる生徒もいれば、逆に大失態を演じてしまいそのままグラウンドにうずくまってしまう生徒もいる。傍から見れていれば「勝ったって負けたって、頑張ってる姿だけで素晴らしいよ」と正論のひとつも掛けてやりたくなるのだが、しかし彼らにそのような正論は届かない。届かないどころか、そんな正論を喋ろうとする僕の意欲そのものをかき消してしまうほどの真剣な眼差しを彼らはしているのだ。ここにもまた、純粋な喜びがあった。
スタンドに足を運ぶと、やはりこの派手な格好が目立つのか、程なくして生徒たちが手を振ってきた。一年二組の生徒たちだ。声の招く方へ向っていくと、どうやら大歓迎の模様。緩みきった顔の僕は一人ひとりに「何出んねん?」「まだ始まらんのか?」などと声を掛けるのだが、しかし同時に、先の文化祭にてある生徒から投げかけられたあの言葉をも思い出す。―先生は二組が基本やからなぁ。―そう、不平等はいけない。それゆえ、タイミングを見計らって他のクラス席にも紛れ込んでいく。二組ほどの歓迎ぶりではなかったが、しかし積極的にどんどん声を投げ掛けていくと、しだいに生徒たちも柔らかな表情に変わっていく。「来る者拒まず、去る者追わず」なんて言葉があるが、少なくともこれは教師には許されない態度なんだろうと、そのとき僕は改めて思った。去る者を追いかけてでも振り向かせた上できちんと届く言葉を投げかけるというのが、奉仕者としての教師の取るべき基本的な姿勢なんだろう。
しばらくは物珍しい動物をもてはやすような歓迎に包まれた。しかし、珍獣も慣れてしまえば珍獣でなくなってしまうもので、次第に生徒たちの眼差しも僕から競技場やクラスメートのほうへと移っていった。そうして、またもや僕には先の文化祭でのワンシーンがフィードバックしてくる。僕にニヤリと愛想のいい一瞥を投げかけた後、そのまま隣に座っていた女生徒とのおしゃべりに夢中になってしまったあの男子生徒の後ろ姿だ。基本的に教師は生徒の世界のカヤの外であるし、さらにいえば、ある程度までカヤの外にいなければならないとさえ思う。僕には決して向けない表情で、口調で、クラスメートと屈託なくワイワイ騒ぎあう生徒たち。その屈託のない無遠慮な表情、口調こそが、彼らが今なによりも経験しなければならない大事なことなのだろうと思う。そうして、いよいよ僕の所在無さは募っていく。「暑いから日陰にいくわ」と側にいた生徒に言い残し、「おっさんやなぁ」という生徒からのチャチャを背中で聴きながら、僕はスタンド中央にある、少しひんやりとした日陰の席へと移動した。
ほどなくして昼休み。ゲストである僕には学校からお弁当が振舞われた。一階で受け取って、先の日陰席に戻るとそこはもう他クラスの生徒に占拠されてしまっていたので、さてどうしたものかとウロウロしていると、また二組の生徒に捕まった。もちろん嬉しいのだが、その嬉しさの分だけ疚しさのような感情が影のように心の奥のほうへ伸びていき、結果としては複雑な気持ちになってしまう。ただ、席まで空けてくれたのを無下に断るのも忍びなく、僕はそこは甘えることにした。さて、そこでの雑談。
生徒「先生、おれ来年こそメンバー集めて軽音楽部つくるから頼むから顧問になってぇな。」
僕「…軽音かぁ。興味はめっちゃあるなぁ。」
生徒「あ、先生非常勤やから顧問なられへんのやったな。じゃあ来年は常勤になってや。」
僕「…う〜ん。でもそればっかは学校が決めることやからなぁ。」
生徒「え?昇格みたいなカンジでなれるんちゃうの?先生って今年限りなん?」
僕「…契約は一年ってことになってる。あとは先生と学校の事情によるから、来年のことは今の段階じゃ何ともいえんなぁ。」
終始、僕は考え込みながら応答せざるをえなかった。先の校長との会話で東京での面接を思い出し、さらにはあやふやながら来期の自分を想像しかけていたこんな僕のことを、来年もいてくれるものとすっかり信用しながら軽音楽部創設の夢を熱く語る彼。何より専任講師の採用試験を受験するのさえ断ったのだから、僕の「そればっかは学校が決めることやからなぁ。」という生返事の半分以上は偽りなのだ。ゆえに自己嫌悪感に包まれたことはいうまでもないが、ただもっと残酷なことに、その一方ではそうした自己嫌悪感をわりかし冷静に眺めている自分もそこにはいた。幼稚な悩みといえば幼稚な悩みだ。僕には僕の人生があるんだと言い切ってしまえばそれまでだし、またそのように言い切ってしまうことを誰も非難などしないだろう。一人を除いて。つまり、僕自身を除いて。幼稚といわれようと、この嫌悪感を嫌悪感のまま忘れまいとする、熱いようで冷ややかな僕が確かにいる。だからこそ、いまこんなことをわざわざ書き留めているのだ。
閉会式まで見届けて、後片付けの仕事もない僕はそのまま競技場を後にする。生徒のカヤのみならず、現場の教師のカヤからも責任上放り出されている孤独な自分を、僕はこの両目に目に染みる夕陽のように鋭く胸に痛感した。来年のことは今の段階じゃ何ともいえない。そのこと自体に偽りはないのだが、しかしこの胸の奥のほうに「もっと苦労せねば」という意欲が沸々と湧き上がってきたことを僕は認めた。生徒と、教師と、ひいては教育現場そのものと、必死に苦労するなかでもっともっと深く関わりあっていく必要が僕にはある。ただ、どこで?それはやはりわからない。今はわかろうとすらしていない。すべては明日の死刑宣告を聞いてからだ。帰り道、ベージュのスーツはやはりどこか浮いていた。
2003年10月2日(木) 「彼らはみんな生きている。生きているから…」
教職員用の入り口で靴をスリッパに履き替えながらふと校庭に目をやると、ブレザーを羽織った男子生徒たち、青い長袖のブラウスに身を包んだ女子生徒たちが次々と登校してくるのが見える。10月。衣替えの移行期間もとうとう終わり、今日から生徒はみな冬服で登校してくることになっている。そういう僕はといえば今日も相変わらずのサマースーツなのだが、しかしこの頃はたしかに青い空のもとにあっても、そよ風がスーツをすり抜けてひんやりとふとももあたりをなでることが度々ある。秋、到来だ。
爽快な朝。それでいて、しかし僕のまぶたは重い。今日は一時間目から授業があるので早起きせねばならないことは重々承知していたのだが、だが昨夜は遅くまで二週間後に控えた中間考査の試験問題作成に追われていたのだ。単純に計算しても、おそらく今度の考査では1年から3年までの全校生徒の約半数ほどが、僕のいま作っている問題を解くことになる。二年生の演習国語に、一年生の特進コース、および三年生の進学コースの現代文。要するに僕の関わっている学年の試験問題はすべて僕が手がけるという按配なのだ。さすがにこれだけ重ねられると、生徒を評価すべき大切な問題の作成にもやや事務的な感覚に陥りがちでどうにもいけない。
周りの同僚にこのことを漏らすと、きまって「いいようにコキ使われてるなぁ」と返される。たしかに、この時期は推薦入試などの関係で専任の先生方は実に忙しそうだ。ただ、その「コキ」という表現から推薦入試とは別に、僕には主観的かつ半ば妄想的にもふと連想してしまうことが一つある。使い捨て。そして、「コキ」と「使い捨て」を僕の中で被害妄想的にもうっすらと結びつける「来期の採用試験を受けるつもりはありません」という一言。
先日専務理事から小声で受験を打診されたことはここにも記したが、さらにその数日後、今度は校長から校長室に呼ばれ直々に受験の意思を問われた。もちろん、立場上から考えても校長が「受けてくれ」なんて言動を取る筈もなく、実際に採用試験に関して校長室でなされたのは「受けるつもりはないんか?」「はい。」「なんで?」「まだ教師になって一年目なのでもっと色んな学校を回って自分なりの“学校観”みたいなのを持ちたいので『専任』という枠での募集は見送らせて頂きました。」「なるほど。」程度の問答だった。その後は普段の授業の様子や苦労話、学校が今のようになるまでの経緯などの話題になり、校長は僕に向かって最後「いや、先生と一度こういう話を持つ場を持ちたいと思っておったんですよ」と締めた。「ぜひ読んでください」と、校長自らが著した本を一冊いただきもした。
そうして、校長室を出るとなんだか不思議な気持ちになったのを今でも覚えている。「言うべきことは言った」という自負と「もったいないことしたかな」という浅い悔恨との、葛藤じみた気持ちである。こんなペーペー教師をこれほど評価してくださること自体に関しては非常に嬉しく思う。現場の専任教員の方ともようやく打ち解けられてきた頃でもあるし、ここの生徒だって印象としては活発で愛嬌がいい。だから「受けるだけ受けようか」という気にも正直なりそうになった。けれど、それでも「自分なりの“学校観”みたいなのを持ちたい」という想いは払拭しえず、ただ“払拭しえず”といっても“まったく払拭されなかった”というわけでもないので、結果こんなモヤモヤした心境に至ってしまったというわけだ。
きっとあらゆる決断にはこうしたモヤモヤがつきものなんだろうけれど、今回はその「言うべきことは言った」という自負にある種の達成感のようなものが混じっている。その日の帰り道、夕焼けに照らされながら僕はある人のことを思い出した。その人というのは、僕が学生のときに働いていた飲食店を経営している社長さんだ。社長さんといっても白髪交じりのお爺さんというのではなく、まだ30歳前半の
兄ちゃんといった風貌の人だ。ただ、仕事になると目つきが変わる(というか日常生活と仕事が見事に融和しているような)人で、小さな中小企業ながら今では関東圏に4件もの飲食店を出して経営している。そして僕がこのとき思い出したのは、その社長と飲みに行ってはよく聞かされた、次のような言葉だ。「僕も一応社長だから色んな会議とかフォーラムに顔を出すけれど、そこで会う人はみんな僕より年齢も高くて威厳たっぷりそうな人ばかり。でも僕は自分の意見はズバズバ言うね。相手が誰であれ、正しいと思ったことをまずやってみる。やってダメなら、やってからまた考える。何にもやんないで失敗する人のほうがやって失敗する人よりも世の中には断然多いんだから。」その当時の僕は理想論というか、ひとつの理屈として「なるほど」と肯いていたが、実際に実践に移すとなると社長の言っていたことにはこれほどまでのプレッシャーを伴うものなのかと、今更ながらにその強さに感嘆してしまう。それと同時に、専務理事や校長という“年齢も高くて威厳たっぷりそうな人”の言葉を突っぱねた僕の決断は間違っていないのだと、その感嘆が大声で僕を勇気付けもしてくれる。もちろん側にはいないのだが、たしかに社長が僕の中に生きていると実感した瞬間だった。
話を戻そう。いま寝不足の理由に定期考査の問題作成を挙げたが、実はもうひとつある。それは、昨夜そろそろ布団に入ろうかというときに、今述べた飲食店にふと電話をしてしまったということだ。昨日10月1日は今もお店で働いているかつてのバイト仲間の誕生日で、最近みんなの声も聞いていなかったし、「今頃みんなで恒例のお誕生会じみたことを店でやってるのかな」などとある種の懐かしみを込めて携帯電話のボタンを押したのだが、しかし電話の向こうから返ってきたのは、なんだか閑散とした空気とお疲れ気味な店長の声だった。
午前零時半。お店はまだクローズ中で、三人しか残っていないらしい。お誕生会の気配はない。とはいっても、店長はかねてから疲労困憊の人だったから「いつものことか」と思いながら雑談を重ね、「じゃあお店のほうは相変わらず変化なくやってるんですね。」とそろそろ話を切ろうかとした時、「いや大事件連発だよ」という苦笑の後に店長から意外な答えが返ってきた。かつて一緒に働いていた仲間の多くが、すでに辞めたり、あるいはもうすぐ辞めるということが決まっているというのだ。眠気は一気に吹き飛んだ。
いうまでもないことだが、すでに辞めた仲間や辞めようとしている仲間を責める気もなければ、そんな立場にもない。思うに、みんな長く、かつ深く考えた上での決断だったのだろう。振り返れば、僕も一年前のちょうど今頃はお店を辞めたがっていた。「店の空気を考えると僕みたいな目の上のタンコブはみんなの成長に邪魔です」みたいなことを店長に直接告げたこともあったが、当時はあまりに暗く悩んでいる真っ最中だったので、それが本当に心からの偽りない本心だったのかどうかは今となってはよく分からない。なんにしても、結果的にタンコブはタンコブのまま目の上にヨイショされながら“離脱”ではなく“引退”まで至り、それゆえ「あの時辞めなくてよかった」なんてことを都合よく振り返ったりもするのだが、しかし一方では、「もしあの時お店を辞めていたとしても今自分は後悔なんてしていないだろうな」という固い確信も同時にある。その理由は簡単で、自分が決断のその分かれ道で、どうしようもないくらいにうつむいて、膝を抱えながら悩みに悩んだからだ。安易な決断による一歩目は蹴つまずいて後悔することが多いけれど、じっくり考えた末の第一歩は、どの方向に踏み出そうとも蹴つまずくことはまずない。あらゆる「ああすればよかった」というケースを吟味し、タブーとして深く封じ込めた上での決断だからだ。深い思考の果ての結論ならば、信じた正しさを“やってみる。やってダメなら、やってからまた考える”をぜひ貫いて欲しい。だから、繰り替えすが、お店を離れ行く仲間の決断にどうこう口を挟む気は毛頭ない。その個々人の決断には、さほどショックはない。
むしろこのタンコブがショックに感じたのは、そのような大事件を完了形で初めて耳にしたという事実のほうだった。所詮タンコブなんだからと言われれば身も蓋もないのだが、一緒に汗を流し合った仲間がお店から離れていったという哀しさを、この“すでに”という完了形はよりいっそう強調した。だが、冷静に考えれば至極当然のことだろう。僕が店を辞めてからはやもう半年が経った。その間、折に触れて食べに行ったり電話やメールをしたりと何度かコンタクトはあったものの、しかし半年というスパンに照らし合わせるとその濃度はあまりに希薄だった。ここ大阪に大阪の時間が流れている間にも、東京には東京の時間がしっかりと流れていたのだ。その脈々とした流れの内容を僕は知る由もないし、もしかしたら知る必要さえないのかもしれない。
ただ、それでも先ほど“社長が僕の中に生きている”と言ったように、多くの仲間もまた今のなお生き生きと僕の中に生きている。こちらで逃げ腰になるたびに、彼らは叱咤激励の暖かいオーラを記憶の向こうから胸の奥へと滲ませてくる。それゆえに、現実は逆にひどく冷淡に迫ってくるのだ。僕は以前この日記に、東京が好きな理由を“ただ単に「一緒にいて心安らぐ友達がそこに少なからずいるから」ということに尽きる”と記した。それは、概ねではあるがお店にも当てはまるような気がする。かつてそこで必死に働いていたとはいえ、仮に一緒に働いていた仲間がそこに誰もいなくなったとしたら、僕はその店を少なくともかつてのようには愛せないと思うのだ。そして、それは嘆いても仕方のないことだとも知っているのだが、そう考えると、自ずと「僕の中にずっと生かしておいたまま隔離しておいたほうがいい人間というのもいるのではないか」という考えに至ってしまう。それは喩えるならば、キリストは死んでいたほうが信者の生きる力になる、ということだ。僕は東京にたくさんの眩しい想い出がある。しかし、その想い出だけを頼りに再上京しようものなら、その眩しさの分だけもしかしたら孤独を味わうことにもなりうるんじゃないだろうか。来年の進路は今のところ大阪・東京のいずれにも立脚せずに考えているが、今回の件で僕の中の認識がひとつ改まったことは確かだ。
前向きに考えて、日本中の子どもたちのように、どうかお店もパートナーを大幅に入れ替えることで“衣替え”して、心機一転この爽やかな秋の風を全身で吸い込んで欲しいと思う。もちろん人が新たに入れ替わることで色々な問題もこれから山積してくることだろうけれど、そんな冬をどうにか乗り越えて、お店全体が暖かい空気に包まれる春を、みんなの力で迎え入れて欲しいと思う。そして、店を去った仲間、店を去ろうとしている仲間にとっては、きっとこの秋晴れの今こそが旅立ちの春なんだろう。タンコブはタンコブゆえに、不粋にも一人ひとりにメールすることようなことはしない。ただ、僕の中で眩く生きている仲間の旅立ちに沈黙しているのも非常に心苦しく、ゆえにこのマニアックな日記の片隅にこうして餞の言葉を記しておくことにします。これからそれぞれの目の前に広がる風景が、今よりももっと明るい陽光に包まれることを祈っています。同時に、今なおお店に尽くして必死に汗を流している仲間に今後もいっそう意味のある深い時間の流れるように、ということはいうまでもありません。