2003年8月29日(金) 「伝えたいんやっ!」

今年の阪神はどういうわけか強い。昨日も伝統の一戦を楽しみにしながらテレビのスイッチをつけるとすでに10点差がついていたので、ものの数秒でチャンネルを変えた。阪神が強いと大阪の町は盛り上がり、なんでもかんでも、とりあえずタイガースにかこつけましたという商品たちが店頭を埋め尽くす。たとえば「タイガース電池」、あるいは「タイガースコーヒー」などなど。その中に、経営の本なのかなにかは知らないが、「儲けたいんやっ!」なるキャッチコピー(もしかしたらそのままタイトルだったか。記憶があやふやだ)の新刊を宣伝する広告看板があった。いうまでもなく、今年の阪神の合言葉「勝ちたいんやっ!」にあやかっているものだ。僕は自分を誰かに売り込みたいわけではないので別に例の新刊のようにタイガース人気にあやかろうというのではないのだが、しかしこれを見た瞬間に今期の(あるいはもしかしたら生涯の)自身に掲げる信条のような言葉がパッと脳裏に閃いてしまった―「伝えたいんやっ!」。

東京都教委の面接にて大失態を演じたことは先に記したが、そこで得た痛みと反省から、このところ学校の授業にて、僕はある一つのことを可能なかぎり常に心がけようとしている。それは、一言でいえば“自分の話を聴いている自分に向かって話しかける”ということだ。先日の失態で最も己を恥じたのは、「僕の伝えたい内容を相手が解釈できるかどうかということよりも、まず僕自身が喋りたいと思ったことをスッキリ喋りきることのほうにこそ」大きな関心を寄せて生きてきた自身の生活態度であった。「僕自身が喋りたいと思ったことをスッキリ喋りきること」によって生まれる言葉は「頭の中の知識が空気中に暗唱されただけのもの」にすぎない。つまりそれは観客のいない「パントマイム」のようなもので、そこでは相手にメッセージが伝わったという実感に包まれるのは難しい。いわば自己満足である。しかもそれはいわば悪しき自己満足であって、周囲のみならず自分自身にとっても害の多い態度なのではないかということを、最近になってようやくリアルに思うようになった。自分ひとりに閉じた自己満足は当の自分自身を孤独・退屈にする―そんなふうに思うようになったのだ。

都教委の面接の前夜、僕は例によって“ひとり旅”がてら、大学の研究会で一緒に勉強し今は大学院でカウンセラーの資格を取るべくさらに勉強している友人の自宅に宿泊させてもらった。僕のほうはすでに別の友人と軽く飲み屋で飲んでから彼と合流したのだが、なにぶん学部生時分に幾度となくひとつのテーマのもとにお互いの意見を戦わせ合ってきた間柄なので、明日が面接であろうと関係なく、予めコンビニでおつまみを買い込んでの哲学談義(?)が明け方の4時ごろまで続いた。そこでのやりとりは、ごく大まかに会話調で記すなら次のようになる。(ことわっておくが、別にテープに録音していたわけでもないので、以下に記す「彼」の発言内容は、正確には“僕が解釈した「彼」の発言”である。)

「自分のなかには頭と胸に一人ずつ、計二人いるんじゃないか。“頭の自分”が周りの目を強く意識するあまりに、“胸の自分”が本当のことを言えなくなってしまい、本当に自分が考えていることがいったい何なのかわからなくなる。【自分のこと】を話すのと【自分について】話すのはどこか違うんじゃないだろうか。頭で考えて【自分について】話すのは簡単だが、でもそれでは【自分のこと】を話したという実感はとうてい得られない。」

「話は少し逸れるけど、学校で授業をしていると自分のいいたくないことも言わなければいけないときがある。たとえば古典学習などで「大事な単語やから覚えておけ」と生徒にハッパをかけるようなときも、そう言いながら「どうせ大学受験までやろ」って情けなくも頭を過ぎることがある。たぶん、そういう時に言う側の感じるある種の虚しさって、【自分のこと】を話そうとしているのに結果的には【自分について】の話しか出来ていないときの歯がゆさに似ているんじゃないだろうか。ホンネが語られていないし、その瞬間は何がホンネなのかもつかみかねている。」

「相手の痛みをわかろうとする際、相手に向かって「それはどんな痛み?」とか「なぜ辛いの?」というふうに問いかけるのは「あなたの傷口から流れる血の色は赤いんですね」と言っているのに等しいんだよということを院の先生から教わった。それは相手の痛みからは絶対的に身を守られている場所に自らを置いた上でのいわば傍観者的な問いかけ方で、それでは相手と気持ちを通じ合わせることなんてできない。実際、自分も重苦しい胸の苦痛について学友から「それはどんな痛み?」「なぜ辛いの?」などと問われたが、それにどんな返事をしても“【自分のこと】をわかってもらえた”という実感は得られなかった。」

「さっきの話の続きになるけれど、ベテランの先生を見ていてスゴイと思うのは、おそらく自分のいいたくないであろうことでも、あたかも心の底から言いたいことのように生徒に向かって語り掛けているという点。たぶん、いいたくないという思いのまま“仕方なく”語りかけるという態度は「あなたの傷口から流れる血の色は赤いんですね」というのに近いんじゃないかな。熱く重みのある言葉、相手の奥に届く言葉を発するには“胸の自分”に口を開かせなければならないのだけれど、それだけではただのわがまま人間にもなりかねない。では、ベテラン先生のように、社会的な責任を追いながら、かつ“胸の自分”に口を開かせるにはどうすればよいか。なぜそんなことが可能なのか。ひょっとしたら、自分のなかには頭と胸に一人ずつ、そしてその二人を統御する“三人目”がいるんじゃないだろうか。」

「先に“【自分のこと】をわかってもらえた”という実感は得られなかった、といったが、その後、臨床心理士の先生から「今はその苦しみをそのままにしておきたいんだね」といわれた瞬間に“【自分のこと】をわかってもらえた”というか、受け止めてもらえたという実感に包まれた。得体の知れなかった苦しみが、自分の中に苦しみのまま落ち着く場所を見つけたようだった。“三人目”ってことを考えると、先生は“三人目”の指令によって“胸の自分”を僕に添えつつ“頭の自分”にしかるべき言葉を投げかけさせたということだろうか。」

「きっと“三人目”は“胸の自分”や“頭の自分”ほど、そんなにいつも自分の中にいるわけじゃないと思う。友達とざっくばらんに談笑しているときや一人で集中して思索に耽っているときなんかは、きっといないに等しい。ただ、さっき社会的な責任といったけれど、ひとつの場面にきちんと対応しなければならないと“胸の自分”や“頭の自分”が判断したとき、その“二人”の要請を受ける形で“三人目”が姿を現すんじゃないだろうか。渡哲也の謝罪会見で彼の言葉に僕が熱い重みを感じたのは、さまざまな苦痛をぐっと堪えつつ、言葉を受け止める相手に向かって発せられた“三人目”の言葉として受け止めることができたからなんだと思う。」

なんだか活字にすると話のかみ合わない陳腐な議論のようにも見えるが、とにかく僕たちはこの談義のなかで“三人目”という概念を(明け方というセンチな時間帯のせいもあり)あたかも新大陸を発見したかのような興奮で導き出した。“頭の自分”と“胸の自分”を統御する“三人目”。そいつはこの談義のなかでは自分の背後(頭上後方斜め上あたり)にいるものと想定していたのだが、ただ、最近では僕はそいつを自分の後方ではなく2,3メートル前方あたりに想定するようにしている。加えてこの“三人目”の目線の方向についても、この談義のなかでは(少なくとも僕は)“こちらからあちら”向きを考えていたが、今は逆に“あちらからこちら”向きなんじゃないかと考えている。いいたくないことを仕方なくタテマエのように語っている自分、あるいは感情が先行して言葉を選ばずに次々と喋りながら考えているような自分、そういう自分を冷静に相手(聞き手)の視点から眺め、軌道修正しうるような、いわばオンブズマン的な“三人目”。このオンブズマンの許可を得られた言葉こそ、理性と感情の融和した説得力あるものになるのではなかろうか。さらにいえば、そのような言葉こそ、その言葉の話し手と聞き手の双方に対してある種の幸福感を与えるものなのではなかろうか。ただ、いうまでもなく、この“三人目”を自分の中で意図的につくり上げ機能させるのは非常に難しい。目下、僕はその修行の途についたばかりである。そして繰りかえすが、その修行の過程で絶えず自らを戒める言葉は今のところただひとつ―「伝えたいんやっ!」。

 



2003年8月25日(月) 「バトルクライ」

自分にひとつウソをついた 「まだ頑張れる」ってウソをついた
ところがウソは本当になった 「まだ頑張れる」って唄ってた
ずっとそうやって ここまで来た

(BUMP OF CHICKEN 「バトルクライ」)

自分にウソをつきながら、玄関を出た。「まだ頑張れる」ってウソをついたのは、心ではなく頭だった。また今日から学校が始まる。始業式はまだ先だが、夏期講習の後半がスタートするのだ。ただ、教室へ向かうその足取りは鉛のように重い。昨日は東京からの深夜バスで明け方に自宅へ戻るなり、そのままほぼ終日“フテ寝”状態だった。日が沈んだ頃に起き上がり、前日のことを思い出して日記を書き始めたはいいものの、それすら途中で指を止めてしまう始末。書きかけの日記の冒頭には、こうある。

「東京駅、午後10時45分。夜行バスの発車までは少し時間があったので地下へ下りてみるとカフェが目に入り、入ろうか入るまいか、店の前で数分迷った挙句に意を決して店内へ足を踏み入れようとするや否や、「すみません、もう終わったんです」というホールスタッフの声にはじき返された。仕方がないから、重いカバンを両手にぶら下げてヤジロベエのようにフラフラと階段を上り、自動販売機の前に立つ。ここでも少しだけ考えて、「よし」と思い千円札を入れようとするや否や、「調整中」という張り紙に手首をグッとつかまれた。「カフェだけじゃなく、自動販売機にまで拒絶される僕っていったい何なんだろう。」そんなことを考えもしたが、けれどその姿は今の自分をあまりにもリアルに象徴しているようでもあり、実際には微笑さえ浮かんできた。辺りには床に腰を下ろしたりしながらバスの発車を待つ人たちがたくさんいたのだが、彼らの眼差しはもはやあまり気にならなかった。…」

失意の原因は、いうまでもなく面接の失敗だった。いや、失敗というよりは失態といったほうがいいだろう。だからこそ、失意もとめどなくつのってくるのだ。東京都の公立教員になりそこねただろうということよりも、その面接を経て、ありとあらゆる己の弱さをまざまざと見せつけられたということのほうが、僕の胸にダイレクトに絶望感を押しつけてくる。「頭が真っ白になった」と一言で片付ければそれまでなのだが、しかし「頭が真っ白になった」のはある程度まで必然の出来事であった。そのように自覚されてしまうからこそ、憂鬱はいよいよ深刻さを増してくる。

面接の冒頭で、自己紹介もさせてもらいないうちに、とつぜん持参した学習指導案なるもののプレゼンテーションを要求された。相撲でいえば、この時点で僕にはもう土がついていたのかもしれない。パニック気味に模擬授業みたいなものをやったのだが、やはり説得力のある授業だとは思えない。授業というよりパントマイムに近い。しかし、面接は相撲じゃないから、転んだままでもみっともなく戦わなければならない。振り返れば、これは一種の圧迫面接だった。あえて受験者にプレッシャーをかけることで、その度胸みたいなものを見ようとしたのだろう。そして、足腰の鍛錬を怠っていた僕は、最初の張り手でいとも簡単にプレッシャーに突き飛ばされてしまったのだ。突き飛ばされたことが悔しいのではない。その足腰のひ弱さを憂うのだ。振り返らなければこれが一種の圧迫面接だったと気づけなかったのも、すべてこの足腰のひ弱さに起因している。

さて、土俵に背中をべっとりくっつけながらも必死にあがく僕を目掛けて、面接官はどんどん張り手を重ねてくる。

「君は喋るのが早いから、とても損をしています。一分間の間に自分がどれだけの数の単語を話しているか、一度チェックしてみるといいかもしれませんね。今のままでは公立の学校では通用しません。今後の修養の参考にしてください。いや、面接からは話が逸れましたが…」

もしかしたら、本当に僕のことを思って言ってくくださったことなのかもしれない。いや、実際にこの言葉は、悲痛なほど今の僕のためになっている。ただ、言われたときの僕はただ自分を見失うばかりで、「話を逸らしてまで面接の場で言わなくてもいいじゃないか」と思えたのすら、面接が終わってからという有様だった。ただ、この早口もまた足腰のひ弱さに起因しているのだということに、すべての面接を終えて気づいた。だから、この張り手も僕の重心をくずしこそすれ、しかしまだ僕の中心をひっぱたいたわけではなかった。僕の心の中心を鋭くひっぱたいたのは、次のような問答だった。

「もし生徒があなたに反抗的な態度を取り続けたら、あなたならどのように対処しますか?」

「はい。真正面から語りかけるだけでは生徒をさらに怒らせてしまうだけだと思いますので、その生徒を敵と見なすことなく、同僚の教師やその生徒の友人たちと接触を重ね続けることで生徒理解に努めたいと思います。」

「あなたの今おっしゃったことには生徒理解に関して最も大切なことが抜け落ちていましたが、お気づきですか?それは、何よりもまずその生徒とトコトンまで徹底して語り合うことです。向き合い続けることです。周りから情報を集めて外堀を埋めるのは、すべてそれからですよ。」

返す言葉がなかった。内容の問題ではなく、語り方の問題だったのだろう。僕の喋った内容だけ振り返れば、「その生徒を敵と見なすことなく」というあたりに生徒と向かい合い続ける心構えが盛り込まれている。ただ、それはまさに“盛り込まれている”という按配で、どう考えても実際にトコトン生徒と向かい合っている人間の語り口には思われない。そう。僕はこれまで頭では理想を描きながら、しかし実際にはまるで生徒と向かい合っていなかったのだ。そう自覚したとたんに、ありとあらゆる自信がパズルのようにがらがらっと崩れ去った。これまで生徒に語りかけていたつもりだった僕の言葉も、実はただこの頭の中の知識が空気中に暗唱されただけのもののように思えてくる。この口が早口なのも、僕の伝えたい内容を相手が解釈できるかどうかということよりも、まず僕自身が喋りたいと思ったことをスッキリ喋りきることのほうにこそ大きな関心が寄せられているからこそのことなのかもしれない。そんな気がした。そんな気がして、今までいわば“無視”してきた人への申し分けなさが込み上げてきたが、その気持ちも次の瞬間には「僕はこれからこのまま変われないのかもしれない」という絶望にも似た不安にかき消された。他人への申し訳なさよりも、自分の身を優先して案じてしまうこの徹底された“無視”根性。これこそが、僕の足腰のひ弱さの原因だったのだ。僕はこの半年のあいだ、いったい何をしていたのだろう。何も変わっていなかった。現場で目の当たりにした教師の怠慢を嘆きながら、いわばその怠慢に気づいて指摘するだけで、怠慢にも眉をひそめて問題を眺めていただけではなかったか。「このまま変われないのならば、僕には教師なんて永遠に無理だ」と思ったのは、決して自虐などではなかった。

面接を終え、新宿で待ち合わせていた友人と久しぶりに落ち合う。大学で一緒に音楽活動をした友人で、今は新社会人として、この春から証券会社の営業マンとして働いている。プライベートでも色々あり、彼が今やや落ち込んでいるということはメールの文面などで予め知っていた。なればこそ、今日は彼をなんとかして励ましてやろうと思っていたのだったが、新宿に着いたときの僕にはもはやそんな余裕などなくなっていた。むしろ彼と今日、この瞬間に会えたことに僕のほうが心底救われた気さえした。料理店に入って、彼の話に耳を傾ける。すると、聴いている僕自身が傷心の身であるがゆえに、いっそうリアルに彼の痛みが僕の胸に伝わってくる気がした。それと同時に、彼の痛みが僕の胸を刺激するたびに僕自身の抱えていた不安や絶望から迫力が失せていき、このさっきまではどうにもコントロールさえできなかったこの絶望や不安を、いつしか僕は彼に向かって打ち明けていた。その言葉は、けっして空気中に響く暗唱などではなく、彼の胸にしっかり届いた気がした。確証はないが、実感があった。傷ついた人に元気を与えてやれるのは、実は元気な人ではなく傷ついた人なんだろう。そして、傷ついた人に元気を与えることで、その元気を与える側の人の傷もまた癒されていくのだろう。そんなことを思った。

「どの道を歩んでも、歩むのは僕やから弱点は克服せんかぎり一生ついて回るんやな」と何度もお互いに確認し合い、僕らは別れた。とても暖かい時間だった。暖かい時間だっただけに、別れてしまうと手なずけたはずのあの絶望感が、再び勢いよくこの全身に襲い掛かってくる。そして、結局僕はそのまま胸の重みを拭えないまま、今日という日を迎えたのだ。

自分にウソをつきながら、教室に入った。

すると、僕の憂鬱になんてまるで気にかける様子もなく、屈託のない笑顔たちが「先生ひさしぶりぃ。元気しとったか?」「休み中、先生の家を探しとってんけど結局見つからんかったわ。」などと次々に語りかけてくる。彼らの眼差しはぬくもりに満ちていた。すると、いつしか例の絶望感はあのときと同じようになりをひそめ、気づけばこの全身は活き活きとしたエネルギーに満ちていた。僕は自分の力だけで生きているんじゃなく人によって生かされているんだということを、僕はその瞬間に骨の髄から実感した。もう少し、やれそうだ。

自分にひとつウソをついた 「まだ頑張れる」ってウソをついた
ところがウソは本当になった 「まだ頑張れる」って唄ってた

 



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