アルプス山岳スキー大縦走 2003

 2003年3月14日(金)〜4月6日(日)

≪エクラン+D≫ 奥村邦夫(CL JACASC,ランドネ)
≪エクラン+C≫ 及川 恒(VTR、医療) 伊藤龍治(食料 以上水沢山岳会)
≪エクランのみ≫ 高尾文雄(全体庶務 JACASC)
≪C≫      宮本数男(団長) 木村喜代志(全体記録) 早川英夫(VTR) 山縣喜美子 田中昌二郎(L)
     石原康生(会計) 原 謙一(写真) 石田要久(以上JACASC) 榊 陽(ランドネ) 浦田慈子(記録)
≪D≫      金井多計子(L) 奥山修司(記録) 小林迪子 倉崎次雄(写真) 岡安トキ(以上ランドネ)
     大田慶子(食料) 福士 節(会計) 岡田尚武(VTR 以上JACASC) 奥村順子 都丸宏一 橋本 昭
 (註) JACASC=日本山岳会アルパインスキークラブ
      ランドネ=東京南部山スキークラブ ラ・ランドネ


この企画は奥村(敬称略、以下同じ)が毎年やっているヨーロッパスキーの集大成という形で早くから計画に着手されていたものです。案内
奥村に加え日本山岳会アルパインスキークラブの高尾と福士、ランドネの金井と奥山で幹事団を構成。幹事会は2回開かれました。
そして準備会を2回。こちらは参加者25名のほぼ全員の大集合で、八方と斑尾を縦横に滑りまくり, 夜のミーティングでは懇親を深めることができました。
(各々の記録参照 八方尾根 斑尾 ただし、個人の日記風です。あしからず)
本番のアルプスの方は、行動の無かった1日を除いてすべて晴天という稀有な幸運に恵まれました。その分雪質は今ひとつで、コースの若干のレヴェルダウンを余儀なくされましたが、20数名の大部隊トータルとしては大成功だったと言えるでしょう。
3月15日から3月22日までのエクラン山群は精鋭4人(A・Bグループ)による難度の高い山岳スキーです。(A・Bグループの記録はこちら)

3月22日以降は総勢24名の大部隊で、全体は大きく二つ(Cグループ・Dグループ)に分かれました。両グループは、出発の3月21日(金)からコース前半のヴァノアーズ山群のオフピステをやる3月23日(日)〜27日(木)までは原則同一行程、28日以降ツェルマットで合流する4月2日(水)までは完全別行程、合流以降また同一行程、でした。
一部、分流も発生しましたが、比較的纏って行動できたのは全員の協力の成果でした。

記録は日々メンバー各位に割り振りました。

(Cグループの記録はこちら)

〔原さんのたくさんのスナップ写真やヴィデオから数十枚を選びアップしました。榊さんからの写真もあります。(Cグループ中心)〕

〔倉崎さんも写真をたくさん撮っています。レポート本文に載せていないもので楽しいのを何枚かアップしています。奥村さんの写真もアップしました。(Dグループ中心)〕

〔奥山の撮影済みヴィデオテープから映像を取り出しました。計27枚(Dグループ中心)〕

以下はDグループの記録です。
〔全体概念図。作図:木村〕

3月21日(金)・22日(土) 出発 ゆったりと時差を解消 (記録 奥村順子)

19:55 成田
19:30 アトラストレックの浅井さんの案内で少し早めに団体カウンターに入る。
   少し早いせいか4名未着。
19:55 橋本さんを残して全員集合。
   橋本さんの遅れは羽田でトラブルがあったため。
   出発に間に合うかどうか・・・
20:05 中山さんが紹介される。
   背番号と赤いリボンを貰う。
   搭乗券(往復)を渡される。
   21時15分に17番ゲート集合で、一旦フリーに。両替。
20:30 出国審査通過
21:40 機内乗込み
22:00 出発
22:40 軽食 スナック ワイン ビール ジュース 等
23:45 ディナー(メニューは下記)
   ・スモークサーモンサラダ
   ・牛肉ソティーマンゴ風 にんじん パスタヌードル
    or すずきの寄せ地あんかけ ご飯
   ・チーズ オレンジケーキ
   ・コーヒー 紅茶
何か変!・・・
スチュワーデスに、
「白」ワインプリーズ、と言ったら、ちゃんとワインをくれた。
でも 中身が「赤」・・・
00:40 そろそろ 皆さん お休みの時間。
09:00 そろそろ 皆さん 動き出す。
   お夜食? おにぎり サンドウィッチ カップラーメン 飲物
    各々 とりに行く。
10:00 食事。 オムレツ パン サワークリーム オレンジジュース フルーツ
12:40 ドゴール空港到着
 [これまで 日本時間]
 [これから パリ時間]
04:20 ドゴール空港到着 国内線のりかえ
   待合せ時間にカフェでドリンクサービスがあるというので中山さんを先頭に探し回るが遂に見つからず。
   ベンチに腰掛け、自前の水を飲む。
06:00 F30(ジュネーブ行き)に集合。
   明るくなり始めた空港のロビーはまるで宇宙船のよう・・・朝日が迎えてくれた。
06:40 搭乗
07:10 出発
08:05 ジュネーブ着。換金。水など買物。トイレ。
09:15 出迎えのガイド クリストフ とバスでヴァノアーズへ。
   
ANNECY CHAMBERY ALBERTVILLE の街々を通りぬけ、
12:00
CHAMPANY のホテル着。
   途中にあった運転手なじみのお店でランチ。
    ピザ オムレツ パスタ コーヒー ビール など
18:00 ホテルで夕食。ガイド紹介。23・24日のミーティング。
21:00 解散

予定コースと実績を図に纏めてみました。
ワード文書をそのままダウンロードできるようにしています。
ワードが使えない環境にいる人には申し訳ありません。  (奥山)
 フランス スイス

3月23日(日) 快晴 VAL-THORENS から LA MOTTE の小屋へ (記録 都丸)

勢揃い   location:Glacier de Chavière(Hütte Stuttgart)  photo:Sasaki
(写真をクリックすると拡大写真が表示される、以下の画像も同じ)

シャンパニーのホテルグリエール発、7時55分バスでバルトランへ移動、9時20分到着。
スキー場でスキーをつけいよいよ長いツアーの始まり、胸がわくわく。
巨大スキー場で驚く。突然アクシデント発生。自分のビンデング脱落、先が思いやられそうだ。リフト乗り継いで山頂へ到着10時50分。
シール取り付け登行開始。ペクレ針峰が前に美しい姿を見せている。
通常ルートはペクレ針峰南側のコルを越えるのだが、コースが雪崩のデブリでさえぎられ難渋するとの情報を得て急遽、下(より南)側のコルを通過する迂回コースをとることになった。到着12時00分。狭いコルで緊張。12時20出発。大斜面滑降、コル直下到着12時40分。
再度シール取り付け、13時00分。小さなコル到着、13時40分。
Dグループの面々、元気いっぱい  location:Glacier de Polset?  photo: Kurasaki

ラモッテ小屋へ向け滑降開始14時。
小屋到着15時30分、ビールで乾杯。今日は終日無風快晴で雪質も少々クラストしていたがおおむね良好、小屋もシャワーがあり綺麗な小屋であった。

3月24日(月) VANOISEのコルの小屋へ (記録 大田)

 ラ・モッテの小屋に朝がくる。
 7時朝食、7時35分に出発の用意をして外に出る。小屋の屋根には大きなベルが付いている。周りの山々が朝日で白くまぶしくうかび、谷間のまだ冷たい空気の中を7時50分出発する。林道を下って約30分、ゲートを過ぎると直ぐ右手にグラン・カッセが見える。グラン・カッセを背景に記念撮影をする。8時30分プラロニョンまで滑り込み、スキー場まで少し歩く。
Pralognan 1441m 9時30分リフトに乗り、乗り継ぎは 9時55分 ジェイバーに乗る。終点 2016m からシールを付けて歩く。10時10分にC班出発、10分程後にD班出発、途中休憩を入れながら約2時間30分 2516m ヴァノアーズのコルの小屋に着く。直ぐにビールが回ってきた。ん〜おいしいね〜〜 昼食13時50分 スープとジャンボオムレツ。小屋の外は日差しが暖かく、ひなたぼっこ。
  〜〜〜 〜〜〜
 歴史を感じさせる古い石と木で造られた小屋はフランス山岳会の直営(小屋の外に会旗が掲げられている)で、緩い傾斜で広い台地の様なヴァノアーズ峠の北側に食事棟と宿泊棟の2棟に分けられて建っている。直ぐ北側は南北に長い広大な氷河湖が横たわっていて今は真白な雪原となっている。その西側に黒々とヴァノアーズ針峰が屹立していて小屋の入口(東側)から振り返り気味に仰ぎ見ることが出来る。そして正面(東側)にグラン・カッセの巨大な山塊を見据える絶好のポジションにこの小屋は位置している。
スケッチは小屋から東北東方向を望んだもの。(昭)
  〜〜〜  〜〜〜

夕食は19時頃から かぼちゃのスープ野菜入りとスパゲティミートソース、パン。食事が終わって、二段になっているお部屋に戻ると思っていたよりも暖かく眠ることができた。

3月25日(火) GRANDE CASSE のコルを越える (記録 金井)

 5:30起床。6:00朝食。朝食のため小屋を出ると,東の空が曙色に染まっていた。今日も快晴だ。アンドレ、セドリック、あずみさんと12人のメンバーで総勢15人だ。
(Cグループから8人。Dグループから岡田・都丸・岡安・金井の4人)
6:30出発。プラロニヨンへ下るパーティーと分かれ、カッセのコルへ登る斜面の基部に滑り込む。気温が低いので時間が掛かっても良いからゆっくり丁寧にシールを着けるようアンドレに指示される。にもかかわらず、私のシールが両方ともはがれてしまった。貼りっぱなしシールで、それまでベロッとはずれたことはなかったのだが、一応テーピングテープでテールを止めておいてよかった。両端を残しすっかりはがれていたのだから。かなりの急斜面上で、ザックからテープを出そうとしていた私にアンドレは、動かないよう、何も自分でしないよう指示し、彼のスキーのトップで私のスキーを下から支えるようにして、手でビンディングを開放し板を外して、あずみさんからテープを受けとり3ヵ所ずつ巻き止めた。スキーに踏み込もうとした私を制止し、スキーまで履かせてもらってしまった。あずみさんいわく「いいねー!お客さんは!お姫さまだよー」 ホントホント・・。でも、すみませんでした!
 先行していたパーティーにすぐ追い着き、高度を300メートルほど上げた2850Mあたりで休憩。しばらくシールで登り100メートルほどをスキーを担いで坪足で登る。3096Mのグランカッセのコルに9:16到着。コルの右は3855Mのグランカッセの山頂がそびえ、左はエギーユドレペナの雪のついていない垂壁がそびえる。クライミングのルートのようで「あそこからトラバースして左へ・・」など、それぞれルートファインディングを楽しむ。コルからは正面にイタリア最高峰のグランパラディソ4061Mのピラミダルな美しい姿が見え、その左にはサンテレナ、右にはエギーユドルースが見える。景色を十分に堪能し、10:00にコルを下り始める。最初は急斜面なので慎重に横滑りをいれて滑る。しだいに谷が広がり快適そうな斜面になるが、これが意外とスキーが引っ掛かる。1ヶ月も雪が降っていないのだからしかたがない。セドリックが偵察に行ったりしながら安全なルートを滑る。氷河上の底のような地点2435Mに10:45着。グランカッセを見上げると、左下に大きなセラックが見えた。広い沢の右岸沿いに大きなデブリを4ヶ所も越しながら(うち1ヶ所はスキーをはずした)やっと人の姿がちらほら見られるようになった
Friburgeに着く。そこからが地獄の1時間だった。雪の着いた林道は始終緩やかな登り! スケーティングをしたり踵をフリーにして歩き滑ったり、太陽がギラギラ照り付けるなか汗だくになって12:45やっとシャンパニールオー到着。今日の行程中一番大変だった。レストランの前庭でビールで乾杯!
 1:20迎えのバスに乗り、1:35シャンパニールバにある最初に泊まって荷物の置いてあるホテル着。町のレストランで全員で昼食をとり、ゆったりとした時間を過ごす。アンドレに今日シールがはがれた人はスポーツ店で塗り直しをしてもらうよう言われ、田中さんと私はあずみさんにお願いして出していただく。夕方受けとりにいったら、なんと 17.4ユーロという安さだった。日本では自分でしてもこのお値段ではとても出来ない。
 夕食は戻って来たグループと一緒にホテルで話しに花を咲かせながら頂く。

 ちょっとしたおはなし−その1−  『津軽弁はフランス語?
 後ろから流暢なフランス語が聞こえる。「誰かしら?」振り返りたいけれど転ぶといけないので耳をすませているとなんと日本語! そうなのです。伊藤さんの滑らかで柔らかい津軽弁はまるでフランス語! それにひきかえ及川さんの津軽弁はフランス語ではない! これなんの違い? 伊藤さんの津軽弁は南部藩、及川さんの津軽弁は伊達藩ですって!


同日 GRANDE CASSE のコルを越えず (記録 橋本)

朝食(6:00)、ヴァノアーズ小屋出発〈6:50) グラン・カッセ氷河取付き点までスキー滑降――取付き点シール登高スタート(7:10)――グラン・カッセのコルを目指して氷河を登る。途中2回小休止後、コル直下スキーデポ(10:15)――コル・デ・グラン・カッセ(10:35〜10:50)――スキーデポ地点(11:00) スキー滑降スタート(11:05)プラロニアンに向け標高差約1600m(3000m〜1400m)のダウンヒル。 Jバーリフト終点ホテル着小休止(12:00〜12:15)――プラロニアンリフトのりばゴール(12:35) 昼食・自由行動(12:35〜14:00) マイクロバスにてシャンパニー(ホテル・グリエール)へ帰還(14:10〜14:30)

5:10頃目覚める。昨日のラ・モッテの小屋につづいて2日目の山小屋生活、ヴァノアーズ峠小屋(約2500m)の朝である。山に入って未だ3日目なのにすでに何日もここで暮らしている様な錯覚にとらわれる。日本の山では時々経験することだがここはアルプスであり遠い外国の山なのにと不思議な気持ちになる。
 この辺の夜明けは(日本と比べて)少々遅い様で、東側の窓ごしに見る風景は未だほの暗い。下段のフロアでは既に数名が起きていて今日の準備を始めている様子だ。ヘッドランプの光が忙しそうに行き交い、ナイロンのスタッフケースのすれ合うガサガサ音が遠慮がちにかすかに聞こえてくる。
 6時すぎ、こんな時間に体が食べ物を受け付ける訳がない。硬いフランスパンをカフェオレでひたすら流し込む。ジャムやバターの小片がテーブルの上に転がっていたが魅力を感じるものでは無かった。
 6時30分カッセのコルを東へ越えるグループは慌しく出発して行った。私達越えないグループもコルまでは行くのだが出発点のプラロニアンへ戻るので難易度や時間には余裕がある。6時50分出発。気温マイナス2℃、天気は快晴、今日も最高の1日に成ることに疑いの余地は無かった。
 昨日シールで登って来た緩やかな傾斜の広いバーンを猛烈なスピードで滑降してゆく。カリカリと足元から恐怖の音、ほとんどスキーまかせで目はCガイドのトレースを必死で追う。約10分の滑降でグラン・カッセ氷河の取付地点、モレーンの末端に到着。すでにコル越えの班はモレーンの最初の急傾斜を登り切ろうとしているところで、列の後部を行く3人のシルエットが確認できた。
 シール登高に移る。グローブの中の指先が痛い。気温は未だマイナスのままだろう。東側に居座るラ・グラン・カッセのセイでこれから進むグラン・カッセ氷河上は当分の間冷凍庫状態から抜け出せない事は明白だ。急傾斜にクトーを利かせてジグザグ登行を繰り返す。モレーンのリッジに近くなるにつれて傾斜度は増し、最後の左へのトラヴァースは氷も固くなり、クトーも右片利き状態となり緊張を強いられる。ガイドが短いピッケルを打ち込んでわずかな足場を維持してくれるのがとても有難い。
 モレーンのリッジへ登りつくのに約1時間を要した。そのリッジは氷河末端を形づくる幾筋者縦筋の1本で一番南側の側壁から私達は登りついたところなのだ。ここは全体には平で北東方面へ向ってせり上るグラン・カッセ氷河とこれから目指すコルの全容がはじめて明らかになるビューポイントでもあった。
 まだ少々寒いがウォーターを飲む。こんな時、温かいホットウォーターが欲しい。日本ではいつもそうしているのに今回はテルモスを装備から外していた。2日前から気付いていたのだが山小屋の朝食時、お湯はあるが水が無い。ティーを作るのにお湯は必ず出る。一般の登山者が朝、厨房でテルモスにお湯を入れてもらっているのも目撃した。山での生活に西も東も無いのだとつくづく思うシーンであった。
 冷凍庫から冷蔵庫へ昇格した感じの氷河上をひたすら進む。リッジからさらに約1時間が過ぎた頃、先行の班がコルに突き上げる最後の雪壁を登り始めるのが見えた。その小ささに目を見張る。そしてあらためてこの谷のとてつもない大きさを思い知らされる。さらにアリの行列よりも小さな我が友のシルエットを眺めつつ、あそこまでまだ1時間以上は要することを実感する。
 それにしても先行グループのピッチは速い。さすがは“精鋭のC班”を主体にD班からの選抜を加えた部隊だけのことはある。とても付いて行けない我々は“軟弱のD班”と言わた(誰が言ったのか?)がそれもしかたがない。片や“登りのC班”片や“滑りのD班”と位置づけたお方もおられたようだが、各々に当っていて妙である。『わたしたち、氷河遠足部隊だモンネ』 だから休憩もひんぱん、水も飲めるし行動食も食べられる。しかし、写真を撮り合ったり、お喋りしたりと、割り切りのD男D女もさすがにこの大氷河を前にして無口になりました。ただひたすらナメクジのようにすり足で歩を進めることに専念している。
 10時15分、やっとコル直下までやってきた。左手の方角、北西側に帯状に聳えるグラン・グリエールの頂稜部から降りて来た陽足は目線とほぼ同じ高さにまで達したが、ここはまだ日陰の中にあった。遠目には細長く見えたクーロアールは思ったよりも幅広く、コルに突き上げる先端部だけがジョーゴの口のように狭くなっていて赤茶色の露岩にはさまれるようにのびていた。シール登高の限界を越える斜度を持つ最後のピッチは坪足で往復する。スキーをデポしダブルストックでコルへ向って伸びる先行グループの残したトレースを辿る。
 約10分の登高でコル(3096m)に着いた。東に向けて空け放たれた巨大な窓のようなコルには溢れるばかりの陽光がいっぱいに満ちていた。10時35分、すでに太陽は高い所にあったが私達にとっては待ちに待った眩しい朝だった。グラン・カッセ(3855m)がすぐ右手に真白なエプロンのような氷河をまとって堂々と立っている。その向うにグラン・モッテ(3653m)、左手はペレナ針峰(3421m)、そして正面北方はるか彼方に明日行くことになるベルコート山群が波のように連なって見える。O氏からのそんな山々の名称を聞きながら夢中でカメラのシャッターボタンを押し続けた。コルから東へゆるやかに伸びる氷河上にコル越え組がのこした1本のトレールがくっきりと生々しかった。
 スキーデポ地へ戻って滑降の準備にかかる。わずか200m先まで陽光の手がのびて来ていたがここはまだ日陰のままだった。ここで待機していた人達は待ち焦がれていたかのように用意の出来たCガイドを追って下の陽だまりまで滑り降りて待っていた。
 11時5分、Cガイドの「ウィゴーダウン!」という発声を合図にスキー滑降を開始した。グラン・カッセ氷河からグリエール谷へ滑り込む下降ルートは西南西方向に真直ぐのびている。3100mのコルからプラロニアン(1400m)まで標高差約1700mのダウンヒルである。全域にわたって緩い傾斜面で、広く雄大なカールから始まり、終盤に近い2000mあたりからグリエール谷はV字状になる。クレバスの危険もなく、ギャップも少ない雪面は今、ようやく表面が溶けはじめたばかりで滑りには絶好のコンディションを提供してくれた。


skier:  Okumura
location: Glacier
  de la Grande Casse

photo:  Kurasaki
 

 バルメッテホテル(2000m)に降り着く。流れに架けられた小さな橋を目指して下り、勢いをつけて対岸へ登り上げなければならない。いきおいと進入角度を本能的に決めるのだが慣れていないと恐い。
 ホテルのウッドデッキで小休止、ビールを飲むわけには行かないようだ。ピステとは言え未だ標高差600mの滑降を残している。ガス入り水で乾杯。ノドが乾いている時のこの水は旨い。こんな時はビールの代りもしてくれるので有難い。針葉樹林を切り拓いたバーンをいくつかつないでピステを滑り、プラロニアンの街中のリフトのりば前へ無事到着。
 今日の滑りは終わった。最高だった。明日はまた別の新しい最高が待っているに違いない。見上げると雲のない紺碧の空にまっ白な飛行機雲が2条、そのことを約束するかのように黒い垂壁の頂上部でVの字になって交差した。
楽しみはこれから、アルプスの山旅は今始まったばかりだ。

 ちょっとしたおはなし−その2−  『お笑いのヨシモトを越えるハシモトさん
 伊藤さんを東の横綱とするなら、西の横綱は橋本さん。同じく滑らかで柔らかいが、こちらは関西弁。それが止まるところを知らず次から次へとシャレが飛び出す。ここに仲良しの都丸さんが加わると、漫才の実演はさらに面白くなる。聞いている大田さんは「ハッハッハッ」とお腹の底から笑い、金井さんは「クックックッ」とお腹をよじらせて笑う。ツアー中、何度も何度も笑い転げた。お笑いの吉本よりずっと面白い!


3月26日(水)晴 BELLECÔTE の南東面を巻く長いルート (記録 福士)

9:00泊地発(Champagny en Vanoise 1250m)―9:05ロープウエイ乗り場9:22ロープウエイ乗車(リフト、ゴンドラをさらに4本乗り継いで)10:30Bellecôte終点 3000m 10:43 Bellecôte 発―11:49 Bellecôte 針峰の右鞍部直下―12:10コル3266m?―12:29(コルを越えて大きく回りこんだ地点で休憩)12:38―13:05クロアール下13:10―13:28クロアール上―13:40Pas de Genet 2886m(休憩)13:50―14:40Plan de la Plagne (Plagneの平谷?の中間あたりと思われる地点で休憩)14:50―16:04クロカンコースとの出合い―16:25泊地着(Nancroix)

 今日も上天気。午前7:30の気温4℃。ロープウエイ乗り場へは坂道を歩いて5分。メンバー24人とガイド5人がリフトやゴンドラを何本も乗り継ぐのでリフト券の購入はいつも大変。会計係(私)がお財布を握り締めていちばん緊張する一瞬だ。
 今日はアダルト(60歳以下23ユーロ)とシニア(20ユーロ)の別とグループ割引があって、かつ72歳以上はどうやらタダ(!)らしい。貴重な該当者は宮本さんとトノの2人と数えたら早川さんが名乗りを上げた。へーそうなんだと思ったのも束の間、パスポート提示で「まだ今年の誕生日がきていない」と却下。日本の数え歳は通用しなかった。今日のリフト代はガイド分も含めて〆て461ユーロ、約6万円。
 シャンパニーの町もロープウエイで上がっていく山腹も途中までは全く雪がないのに、上に着けばもうカリカリのゲレンデだ。短く滑り降りてリフトに乗り、さらに2本乗り継いで
Roche de Mio 2700m。そこからゴンドラで一気に Bellecôte 氷河に上がる。ゴンドラから昨日行ったグラン・カッセが見えるなあと眺めていたが奥村さんが一緒でなかったのであまり確かではない。上に着いて「みなさん、カッセのコルが見えますよ」と説明を受けてやっぱりイと思ったのだが、よく聞くと違うポイントを勝手に納得していたような気もしてきた。 Bellecôte の氷河上にはコルに向けてJバーが架かっているが今は運行していない。もっと遅い時期、夏スキーの領域になるのだそうだ。
(マップをクリックすると拡大された
 マップが表示される。3段階あり)
 10:43 シールを着けて登高開始。3000mの氷河上なので気温は高くないが陽射しが強くすぐ汗ばんでくる。斜面の右手に広がるヴァノアーズの雄大な山群に見とれながら 11:49 コル直下100mに到着。広いテラスが切ってあってそこでスキーをザックに着け、コルへ直登。ステップは切ってあるが凍っているので少しこわごわ。後ろから「スキー靴なので慎重に上がってま〜す」という奥山さんの声が聞こえる。登り着いた鞍部はナイフリッジのように狭く、ひと跨ぎで越えた反対側にはスキーが一台やっと置けるほどのスペースが切ってあった。ザックからスキーを外し、揃えて置いてステップインするのをクリストフが手伝ってくれる。ヒトにスキーを押さえてもらって履いたりしたのは始めてで、ちょっと感激。クリストフの介添えで一人ずつスキーを履いて、そこから大きくU字を描いてトラバース。ちょっとした平地に滑り降りて着いた順に休憩。谷を隔ててグラン・カッセ、グラン・モットが真正面だ。「グラン・パラディソも見えますよ」と奥村さん。左手遠くにこれから越えるクロアールが細く、しかしくっきりと見える。
 そこから長い長いトラバースを幾つも繰り返して(確か3つ?)クロアールの下に着いたのが 13:05。再びスキーをザックに着けて登る。午後の陽射しで雪が緩んできたので今度は凍って滑る心配はない。直登の途中で先行したCグループのあずみさんがトノを迎えにきた。18分でクロアールを上がりきり、さらに少したらたらと登って 13:40 露岩のある台地に出た。Cグループの末尾が我々の到着と入れ違いに出発して行く。彼等もドーム登頂をしないでこのまま下りて行くのだという。ここで大休止。「ここ、何ていうとこですかあ」「××××」。えー? 「カドジェネ」と聞えたのだが後で地図をよく見たら
Pas de Genêt 。たぶんクリストフは「パ・ドゥ・ジェネ」と言ったのだろう。何人かが高度計を見てここを3000mと認識したのだが、地図に2886mとあったので記録は一応こちらに。
 13:50 ここからが今日の大滑降の始まりだった。何日も雪が降っていないのだから新雪というわけではないが、乾燥した粉雪の大斜面が広がっている。ガイドのトレールの跡しか滑れないのが残念だが、たまに「ビッグ、ビッグ」と手を広げて、広がって滑ってもいいと言ってくれる。いくつかの斜面を滑降して最後に、大きくU字型に回りこんで谷の向かい側の斜面に入る地点に出た。雪崩の危険性の高い所だから200mくらいずつ間隔をとって止まらずに(むろん転ばずに)一気に滑って行けと言う。立っている斜面がすでに砂糖菓子のようにザラザラと崩れ出している。信じられないくらいに長い長いU字滑降。先に行った人が谷の陰に見えなくなって、どうかしたのかと思うほどの時間がたってから(といっても何分でもないのだろうが)向うの斜面に小さな点になって出てきた。
 こうして滑りこんだ谷が何という谷なのか聞くのを忘れたのだが、地図に
Plan de la Plagne ( Plagneの平谷?)と記してあるこの谷に入ってしまえば後はただたらたらとした下りになった。水の音がして幾筋もの流れが雪を割って光っている。14:40 谷の中間地点かと思われるあたりで休憩。牧草小屋もちらほら現われて完全な春スキー気分だ。このまま長閑に Nancroix の村に着くのかと思ったら、最後に夏道の急な下りが待っていた。崖を降りる狭い道、煩雑なヤブ、日本のヤブ山スキーそのまま。思いがけず苦労した人もいたようだが、我々にはお馴染みの、といった感じがしなくもない。
 下りきると後は腐れ雪の中、クロカンのコースに行きあたり、ひたすらスケーティングで頑張って 16:25
Nancroix の集落に到着した。
 宿
AUBERGE CHABOTTE は、予定通りだったら滑ったであろう Bellecôte の北面の真下で、眺めが良い。
夕食の、野菜のキッシュ、仔牛のローストがとても美味しかったことを書き添えておきたい。

 ちょっとしたおはなし−その3−  『時計要らず
 橋本さんいわく、「都丸さんと一緒におると、わし時計いらんねん」 集合時間の15分前になると必ず「ほら!10分前だよ。早く仕度しなきゃ!」って言うんですって。せっかち都丸さん、鶏のようにバタバタして鳴かんといて! 都丸さんは酉年生まれ。


3月27日(木) 晴 GRAND COL 越え (記録 岡安)

CD混成班 12名 内、ガイド アンドレ、セドリック 2名
  クロカンコースの拠点にある広い谷、日本の国民休暇村のような一軒家で快適な朝を迎えた我々は、おいしいパンとチーズにカフェの朝食をとり、スキー場のシャトルバスで愛すべきナンクロアの宿舎を後にする。(9:00〜)
10分程も山道を登り、ペイセイスキー場のはずれの鄙びたゴンドラ乗り場でバスを降りる。
(マップをクリックすると拡大された
 マップが表示される。2段階あり)
6人乗りの篭を3個ずつ連結したようなゴンドラに乗る。下は雪がなくとも、1回乗るともう広大なスキー場が広がるのがヨーロッパなのか。それから2〜3回程リフトを乗り継いで、標高2450Mより、滑り主体組と分かれて、コル越え組はシールとクトーでトラバースしながら登る。最後の直登の急坂は、スキーをザックに付けて20分、思いの外、楽にコルに着いた。(標高2995M 11:10〜11:20)
ガイド2人が様子を見に行き、もう一段登った所からドロップ!と行きたいところだが、そうはさせてもらえなかった。慎重に慎重にとトラバース気味に横滑りをながーくとって、一番おいしい斜面の2/3位をずりおとした。
氷結していない硬い回しやすそうなバーンだったが、我々のスキー技術では無理と判断されたのか。もう大丈夫らしい所から、ターンしながら滑る。それでもかなりの斜度で、北東斜面の硬い雪を緊張感あふれる快適な滑降が出来た。氷河の合流地点に出た時には、みんなホッとした満足そうな顔で、遠くのモンブラン、グランドジョラスを眺めた。
標高2000位まではしっかりと雪があり、それからの山道をスキーを脱いで手に持ったり、スキーで滑ったりを2〜3度して、レ・プラネイの村に着く(12:40)。
道路にテーブルを出した食堂でビールを飲んでいると、ここから先5分程の所にある自分の食堂に車で連れて行ってくれるという主人がいて、その車に乗せてもらう。あんずの花咲く広い庭にテーブルのある、ゴッホの絵にあるような田舎のレストラン。我々は十分にフランスの田舎の昼食を楽しんだ。(13:30〜15:00)
 ビラロージュまで10分歩いて滑り組と落ち合いチャーターバスでセーズのホテルへ向かった。(15:45着)
予定のエギーユ・ルージュを越すことは雪の状態と我々の技量の問題で出来なかったけれど、今日はそんな事は忘れてしまった良い1日だった。

 ちょっとしたおはなし−その4−  『日本人は真面目!
 グラン・コルを越えてビラロージュのレストランの庭でのんびりと開放感に浸りながら昼食をとっていたときのこと。セドリックの村が見えるという話しから、彼が「ボクの母はイタリア人で父はイギリス人だよ」と言う。「そういえばイタリア系の顔している」とびっくりしながらも一同納得。
更に「ぼくは台湾で生まれたんだ!」「えっー、ホント?」と2度びっくり。ここで彼のジョークに気が付かなければいけなかったのに、誰一人気付かず、更に「マザーランゲジは何語?」などと真面目に聞く。にやにやしながらの「フランス語!」に一同やっと気付き大爆笑。本当に信じていたのです。ジョークの通じない日本人!!!


同日 Les Arcs/ Aiguille Rouge− 大スキー場で迷子に (記録 岡田)

D−1グループ 8名およびガイド1名
9:00 Peiseyの宿(Auberge Chabotte)―(バス)−
9:30 Peisey Nancroixケーブル駅(テレキャビン・リフト)−滑降―(リフト)−
10:50 Col du Grand Renard(高度2450)−滑降―(テレキャビン)−
11:40 Col de la Chal(高度2600)―滑降―Les Arcs 2000(高度2120)-(テレキャビン)
12:50 Aiguille Rouge(高度3210) ―滑降―Les Arcs 2000(高度2120)-(テレキャビン)
   Aiguille Rouge(高度3210) ―滑降―(リフト)−
14:45 Villaroger(高度1200)―(バス)−
15:45  Séezの宿(Relais des Villards)

登高高度; 0
滑降高度; 約4760m

今日も朝から快晴。出発前の組み分けでGrand Col越え組にノミネートされたが、滑りを楽しむべく滑降主体のグループへ。
鳥かごを並べたような奇妙なキャビンでLes Arcsの大スキー場に入り、リフトで上がったところでさらに組み分けし、我々はガイドのChristophと奥村さん以下8人のグループ。ここで他のグループと別れ、リフト・テレキャビンを使い、気持ちの良い広大なピステ・オフピステをガンガン滑る。このグループは滑りの足が比較的揃っており、余り待ち時間もなく楽しく滑れた。
昼頃峠を越して反対側の斜面を下り、キャビンでAiguille Rougeに上る。南には昨日まで越えてきたGrande CasseやBellecôte、この山群の主峰Mont Pourri(3779m)、北はMont Blanc山群がもう間近に見える。
Mont Pourri(from Aig.Rouge)   photo:Kurasaki
眺望を楽しんでから氷河コースを下ったところで、Mont Blanc山群をバックにみんなの滑降のヴィデオを撮り、後を追うが一向に見当たらず、分かれ道ではぐれたらしい。集合場所も時間も聞いておらず、困惑してケーブルの係員に片言のフランス語で話していたら、一人の親切なスキーヤーが英語で通訳してくれ、おかげで一行の居場所が判明し、その人がそこまで連れて行ってくれる。一緒にキャビンでAiguille Rougeに上るが、ドイツの高校の先生とのこと、スキーはかなり達者で頂上から上級コースを待ち合わせ場所まで二人で一気に下り、実に楽しい滑降だった。無事一行と合流。この人とはその後E−メールで交信しており、来シーズンLes Arcsへのお誘いまで頂いている。
それにしても行動中何らかの場合の待ち合わせ場所、時間、連絡方法など全く知らされていなかったことは、最後尾のメンバー確認が必ずしもきちんとされていなかったことも含め、今回のツアーの問題点の一つだったと思う。
その後はVillarogerに下り、他の2グループと落ち合い、ビールで乾杯してからバスでSéezの宿へ。居住性はまずまずで、Dグループは貴重な連泊で洗濯などに精を出す。

[付記]もう一つのゲレンデ滑走組(Cグループより3名、Dグループより3名、ガイド等2名)はトラブルもなく、ゆったりと大景観を眺め、ゆったりとコブ斜面などを滑走し、La Ferme という変わった名のレストランでこれもまたゆったりと昼食をとる。(修)

3月28日(金) VAL d'ISÈRE でオフピステ三昧 (記録 岡田)

8:00 Séezの宿(Relais des Villards)―(バス)−
8:45-9:10 Val d'Isèreのle Furnetケーブル駅(高度1930)-(ケーブル、テレキャビン)−
10:00 Col de l'Iseran(高度2762)−(リフト)− リフト終点(高度推定3100)−Pissaillas氷河オフピステ滑降(高度2762)2回
    Jバー終点(高度推定3260)―オフピステ−
11:00 Col Pers(高度推定3040)−Col Pers 氷河滑降―
12:15 Fornet−(バス)−
12:30-13:10 Val d'Isère Village(高度1850)で食事
    自由行動、一部はケーブルでSolaise(高度2560)から滑降
14:50 Val d'Isère 発―(バス)−
15:30 Séezの宿

登高高度; 0
滑降高度; 約2790m(含むSolaise)

コースを変更して
Mont Blanc のイタリア側に向かったCグループと別れ、バスで Val d'Isère スキー場へ。出発時小雨が上がり好天となる。ケーブルの始発を待ってキャビン、リフトを乗り継ぎ Pissaillas 氷河へ。
Pissaillas
氷河のコースは午前の早めだったので、滑降ルート以外は快適な粉雪の新雪の斜面で、オフピステに豪快に思い思いのシュプールを描く。また Col Pers から Furnet への滑降もまだ雪質がまずまずで、変化が多く気持ちよく滑れた。
ここからシャトルバスで
Val d'Isère スキー場のセンターへ行き、滑降コースを眺めながら食事。その後買い物組を除き、ケーブルで Solaise まで上り、高度差700mを下るが、雪が腐ってきていまいちであった。余り時間がなく、せっかく広大な Val d'Isère スキー場にいながら午後はわずか一本しか滑られなかったのは残念だった。
夜はこれまでのVTRを観る。

 ちょっとしたおはなし−その5−  『殿(トノ)のボケ帽子
 ヴァルディゼールのオフピステを楽しんだ後、町で素敵なスキー帽子を買った殿は嬉しくてしょうがない。ちょっと見せて自慢もしたいし、「似合う」と言って欲しい。
 セーズのホテルで夕食中に奥山さんが趣味のコントラクトブリッジを金井さんにするように勧めていた。岡安さんが「ゲームはボケ防止にとてもよろしいそうですね」と言った途端、ちょっと話しを聞きかじった殿が「それ、どんな帽子?」・・・一同大爆笑。訳の分からない殿はキョトン!


3月29日(土)曇り イタリア側を滑降 (記録 小林)

久しぶりに青空が消えた。8:01 車は1000mのセーズの宿から1850mの La Rosiere スキ−場へ 8;25 到着。9:00 からのリフトを待って乗った上は仏伊の国境であった。このロープの向こうは伊? 霧の中ぼんやり山が浮いて見える。みんな同じじゃないか!世界はひとつ------。伊側へ滑リ込みジェイバーに乗ろうとしたが動かない。シールをつけて歩き出したら途中で動き出し、ガイドの指示で back! 嬉々として歩いていた何人かはこのまま歩きたいと不満顔だったが、乗ってみてそれがとんでもなく長いことがわかり納得した。全員降りたのが10:20。よく整備されたルートを滑り降りたところは La Thuile スキ−場下11:00。スキー場入り口に La Thuile-La Rosiere とあった。
送迎車で11:20 出発。アオスタの谷に向かって下り、また山道を登る。急峻な山間の民家、工事中の道路、工場。12:00
La Palud で食事をして、13:00過ぎ、ロープウエイ乗車。このロープウエイの中間駅に Rifudio Torino 今夜の宿があった。到着14:00過ぎ。よくもこんな所に−−聞いたところによると、トリノ小屋は2つあって雪の時期は 3322mの今の小屋だが、夏は 3375mの上の小屋(今は閉鎖)が宿舎になるという。上の展望台までなら歩いてゆけるというので15:45 中にある急な階段を登っていった。ガスが晴れて針峰群が浮かび上がる。裏側にまわって雪のトレースを辿った。エルグロンネの下を巻きロープウエイの反対側の回線を眺める。ガスは晴れたりかかったり!下から何人か登山者が上がってきた。(我々も明日ここから氷河を滑りたい!)
Aig.ou Dent du Géant   photo:Kurasaki

17:30 展望台に戻る。3階の寝室は2段ベットが12個、女性達は下の段にしてもらえて感謝感激だったが、夜中上から毛布やらジャンパーなどが落ちてきて閉口した人が多かったようだ。私にはこの晩の夕食が今までで一番美味しかった。

 ちょっとしたおはなし−その6−  『スケッチの達人
 橋本さんはほんのちょっとした時間でささっとスケッチをする。
 景色はもちろん人物も。ご自分のを一度見せていただくと面白いかも・・。
 描かれた本人は必ず「これ私? 似ていない!」と言うとか。でも、周りの人は「似ている!」って言うんですって!
 スケッチの欲しい方は橋本さんに年賀状を出しましょう!
 必ず思い出のスケッチの葉書でお返事をいただけるとか・・。


3月30日(日) 晴 ARGENTIÈRE氷河滑降 (記録 岡安)

標高3322Mにあるトリノ小屋は今回泊まった中で一番アルプス山中を感じさせる。
同宿の岳人の雰囲気、二段ベッドの大部屋の空気、山小屋らしい食事の美味しさ。しかし昨日ゴンドラでスイッと登ってしまったせいか、私はさすがに夜中、息苦しくなって水を飲んで治めること二回。スプリング付き鉄製二段ベッドは揺れがひどく、あまり眠れなかった。
この小屋の裏から即、ジェアン氷河に滑り込んで、朝いちのバレ・ブランシュを滑降するという素晴らしい当初の計画は中止に。ガイドさんたちの情報交換で、『現在の雪の状態が悪く3月になって死者が何人も出ているから』という。これは本当に残念だった。しかしツアーが終わって、延泊組がオプションで毎日6人位ずつ3パーティが今回の同じガイドさんを個人的に別料金で頼み、エギーユ・デュ・ミディー方面からバレ・ブランシュを滑降したのは、どういうことなのだろう?

ゴンドラ駅がトリアン小屋なのでトイレはドアを出てゴンドラ駅まで行かねばならず変な具合だった。
もう降りるしかない我々一行は、3000Mからのパノラマを展望台から十分眺める。エクラン山群、バノアーズの山々、イタリア側のグランパラディソ、遠くにはマッターホルンまで見えた。
9:45発のゴンドラで未練を残しつつ昨日のイタリア側ラ・パルドに下山。チャーターした小型バスでシャモニへ向かったが、モンブラン・トンネル入り口で一時間半待たされた。今日から夏時間に変わったのに、コンピューターシステムが作動しなかったためと後でわかる。
シャモニのグラン・モンテ行きゴンドラ乗り場に11:20着。日曜日で、混んでいた。
ゴンドラ2本乗り継いで標高3233Mグラン・モンテに着いたのは13:10。展望台でスイス、イタリア、フランスの国境の山々を眺め、大急ぎで行動食を口にして、14:00集合。
アルジャンティエール氷河に向かって滑り出す。これからオートルートに向かうらしい装備のパーティーやら、我々と同じ氷河滑降のグループやらで混雑し、滑り初めは人と接触しないかと怖かった。
それでもクリストフは、氷河に降りるまでは、山側に巻くように安全に導き、氷河に降りた頃には人影が懐かしいと思えるくらいに大自然は広がる。


skier:  Oota
location: Glacier
    d'Argentière

photo:  Kurasaki
 

ゆっくりとビデオ撮影をしながら氷河を滑り、後半はゲレンデの山道コースを、一般のスキーヤーと入り乱れてゴンドラ下駅まで滑る。下は雪が無いのだから、これは人工雪のコースだったとか。
15:35着。予定のパルマ峠越えの山スキーは、前日C班が越え、雪不足でひどかったとの情報により中止に。16:00迎えの車でスイス最奥、国境のトリアンの宿舎に向かった。
トリアン宿舎16:30着 意匠の素敵な"TMB"ツール・ド・モンブランのバッジをもらった。

3月31日(月) MONT FORT から北へ北へ (記録 岡田)

7:30 Trientの宿(Relais du Mont Blanc)―(バス)−
8:20-50 Verbier(高度1500)−(ケーブル)−
    Ruinettes(高度2050)−(ケーブル)−Attelas(高度2727)−滑降−
    Lac des Vaux(高度2580)−(リフト)−Chassours(高度2740)-滑降−
10:10 Tortin(高度2762)−(ケーブル)−
    Col des Gentianes(高度2950)−滑降−
    Tortin氷河(高度〜2800)−(Tバー)−
11:00 Col des Gentianes(高度2950)−滑降−
    La Chaux(高度2260)−(ケーブル)−
11:20-12:20  Col des Gentianes(高度2950)昼食―(ケーブル)−
12:45 Mont Fort(高度3330)-滑降―
14:10 Siviez(高度1730)-(リフト)−
    Combetzelin(高度2238)−滑降―(Tバー)−Greppon Blanc(高度2713)−
    滑降−(Tバー)−滑降−(Tバー)-滑降−
15:25 Thyon(高度2100)−バス−
17:20 Arollaの宿

登高高度; 0
滑降高度; 約4430m

Trient の宿は Tour du Mont Blanc
の登山者用の宿舎とのことで、山小屋風の大部屋。
簡単な朝食後出発、峠を越えスイスに入る。
Verbier から 4 Vallees と称する一大スキー地域に入る。ケーブルとリフト計4本乗り継いで Col des Gentianes に上がると素晴らしい景観と雪質の別天地、昼食後さらに主峰 Mont Fort に上るが、珍しくガスで展望きかず。
山頂からの上級コースは視界きかず、コブ斜面でなかなか手ごわい。下は好天で長大な
Tortin 氷河に思い思いのシュプールを描く。これから谷にすべり下っては、リフトやTバーでコルへ登り返しを繰り返し、いつになったら着くのかと思う頃、やっとバスの待つ Thyon に到着、後半は雪が重かったがたっぷり滑れた。
バスで
Arolla の宿 HOTEL DU GLACIER へ。途中の部落でATMを発見、文無しの一行やっとスイスフランを入手。
荷物の輸送遅れ、21時やっと到着。

4月1日(火) PIGNE D'AROLLA山頂より大滑降 (記録 都丸)

今日は待望のヘリスキーだ。
アローラのホテルから車で近くのヘリポートへ。9時00分到着、三組に分かれ搭乗した。搭乗開始10時15分。
全員がピンダローラの肩に到着したのは10時43分、途中氷河の上、垂直の岩壁を間近に接近してくれ感激。
シールを取り付け山頂へ。ピンダローラ到着11時10分。マッターホルンを始め360度の大展望がどこまでも続く。山また山が見事。
skier:Fukushi  location:Pigne d'Arolla   photo:Kurasaki

山頂発11時35分。デイス小屋方面へ滑降開始。斜面が大きいのでかなりのスピードがでる。雪質は様々に変化が激しい。
斜面直下(標高2930m)で休憩12時20分、12時30分出発。
梯子のあるコルへの登り、足場が悪く少々てこずる。コル到着13時20分。
休憩。モンコロンが見事にそびえている、コル発14時00分。
途中スキー場を通過し無事アローラ到着。

4月2日(水)雪 ZERMATTへ (記録 倉崎)

7:00 起床。目覚めると窓外は小雪が降り続き、一面薄っすらと雪景色。日本を発つた3月21日以前からの好天続きで、何十日振りの雪なのだろうか? 新雪を待ち望んでいた我々にとっては待望の雪。8:00 朝食後 9:00 出発で、車でツェルマットへ向かう。
 約40分後、左手の丘の上にシオン城がかすかに見えてくる。白い桜に似た花や、鮮やかなピンクの杏のような花。この2つの花木はいかにも日本的な風情。10:00頃、車窓左の斜面に葡萄畑が目立って多くなる。恐らく葡萄の生育に適した、西側の日当たりの良い斜面なのであろう。この後続く木々の林は、淡い新緑の芽吹きで、春の兆しが感じられる。
 連日快晴続きで行動中は暑く、汗をかいては0.5〜1リットル近くも水を飲み干す新陳代謝の良さで、風邪も3日目にして完全に吹き飛び、日本から持参したうがい薬も、なかなか咳の止まらないガイドのクリフトフにあげてしまった。体調も整って来たとはいえ、少々疲労も貯まってきたので、今日一日の休養は丁度良かったと思う。
 10:20 今まで通ったことの無い新しい長いトンネルに入る。約5分後左がザースフェー、右がツェルマットの分岐、
POSTバスの乗場を通る。雪は小雨に変わり丘の上空はガスって見えない。10:45 右手に10年程前の凄ましい土砂崩れの跡を見ながら通過する。小雨が霙状の雪に変わる。右手にAIR ZERMATTのヘリポートが見え、アローラからツェルマットまでの約2時間のドライブが終わる。10分程で大荷物の積み替えを行った後、降り注ぐ雪の中を歩いて坂道を上がり、11:30 ホテル BellaVista(☆☆☆)に到着。部屋は初めてのバス付きで、窓から見ろす街の眺めもなかなか良い。
 外は未だ雪で、昨日ビニエット小屋から来て宿泊しているCパーティーのうち早川さんと原さんは、ガイドのアンドレとセドリックと共に、クラインマッターホルン方面に、情況偵察に滑りに行った由。夕食まで自由行動。それぞれ昼食・ショッピング等のため街へ。パウダーを求めてゲレンデで頑張った人も。
昼過ぎ自由行動になったので、橋本さんと岡田は早速近くのアルペンメトロ(地下ケーブル)からロープウェイを乗り継いでRothorn(3103m)へ。下は小雨だったが上は粉雪が軽く積もり、薄日も出て涙が出るような絶好のコンディションで、新雪の斜面を毎回コースを変えながら4−5回滑る。今回のツアーでは最高の雪質で、滑りに来なかった人が気の毒のようだった。調子に乗って谷を下り、Gornergratの上のHohtaelli(3286m)から下るが、こちらは吹雪で視界が利かず苦戦し、Rohthorn側に戻り一滑りして5時ホテルに帰着。半日パスで高度差約4700mを滑り、連日の滑降不足の欲求不満を晴らす。(岡田記)
 雪も止んで来たので、奥山さんと外に出る。教会角からメインの通りに入り、ぷうーんと良い匂いにつられ、昼食は軽くとクレープの店に入る。これがなかなか旨い。「美味しいですか?」とマダムが訊くので「
Very good!」と指で輪を作ると、にこっと笑って「有難う」と。
 アルペンセンターの前を通りかかり、5年前、ツェルマットからシャモニー迄6日間に8回のフライトで滑りまくる「オートルートヘリスキー」の時のガイド・ウルスが居ないかと覗いたが、生憎ドアが閉まっていた。3:30頃から、時々降っていた雪も晴れ上がる。
 夕食は7:00からヴェガの近くのレストラン
Walliserkanne で。食卓は石原さん、及川さんと浦田嬢に小生の4人。先ずは「乾杯!」。メニューは、コンソメ風スープにサラダ、チキンとフライドポテト、さやえんどう付野菜の付け合せとなかなか美味しく、酔いも回るにつれ大いに盛り上がる。ヘリスキーの話や、戦国時代の話?で煙に巻き、浦田姫を初め皆で大笑い。最後のデザートはアイスクリームで食事を終える。
 9:00 レストランを出て、奥村さんと奥山さんの3人で、明日の新雪の具合はどうかなど話しながらゆっくり歩き、9:30 宿に戻る。星空と街の夜景が奇麗なので、小三脚を取り出し2〜3枚撮り、明日の滑りを楽しみに 10:30 床に就く。

 ちょっとしたおはなし−その7−  『さすが関西人
 田中さんの柔らかな粘り腰の交渉上手にはびっくり。さすが関西の経営者!
「とても勉強になりましたけど似せ江戸っ子の私にはまねできません」とは金井さんの弁。


4月3日(木) UNTERER THEODUL 氷河を滑降のはずが (記録 橋本)

 アルプス第14日目、山行日の最終日を迎えた。ホテル・べラヴィスタの3階はロフト部分で部屋はただひとつしかない。私とT氏がここを戴いての最初の朝だ。昨夜から入れかわり訪れたメンバーの方達から口々に「ウ〜ン、ここは広い、立派」と羨ましがられて恐縮の一夜でもあった。広いバルコニーはマッテ谷に沿う形で南南西に面していて大きなはき出しドア越しにマッターホルンの雄姿が正面に見える様な仕掛けにもなっている。が、今朝は生憎の天候で、ヘルンリ稜の取付点あたりから上部は濃いガスに取り巻かれていて全容が見えないのは少々残念だ。仕方がないので・・・・という訳では無いがひと晩バルコニーに出しておいた“クローネンボルグ”を1本部屋に持ち込み、プルトップを“プシュ” 2人で乾杯、「今日もよろしく」
 出発時間もいつもより遅く、朝食も時間をかけてゆっくり摂ることが出来たので、はじめて朝のくつろいだ気分を味わうことが出来た。ゴルナー氷河のコンディションが悪くポルックス廻りのツアーが中止となったので終日ピステか休養日という自由選択の1日となった事もくつろぎの気分の一因となっていたようである。
 いつものようにビーコン、ハーネスを着けてロビーへ集合する(9:00)。なんと全員が集まり、休養するメンバーはひとりも居なかった。元気で何よりではある。
 ホテルはゴルナーグラードへ登る電車の踏切を越えて急な坂道をもうひと登り、北へ回り込んだ見晴しの良いところに建っている。その坂の勾配が責任者を呼びたくなる程キツくて大変だ。上りではアキレス腱が切れそうになる程の急坂がところどころ凍りついた朝はそれを下るのにひと苦労させられる。スキーを担いでポールを突きながらへっぴり腰でヨチヨチ下る異国の老人集団は、ハタ目にはずいぶん滑稽であったろうと思われる。
 9:15 川の傍のバス停から超満員のシャトルバスに乗る。クラインマッターホーンへ行くテレキャビンのりばも大勢のスキーヤーで混雑していてツェルマットの人気の高さに改めて感心する。C班とD班は行程は同じだが、別行動で、私達D班はいつもの計14名のグループである。
 途中乗り継ぎの間違いがあったが無事クラインマッターホーンの岩峰をくり抜いたステーションに降り立つ(11:00)。展望台へ長い階段を上る。眺望はあまり良くないが次第に回復してゆく兆はあった。マッターホーンのヘルンリ稜と東壁が時折り見えては隠れた。

(Dom Täschhorn Alphubel Rimpfischhorn Strahlhorn) Breithorn    photo:Kurasaki

 11:30 肩まで降りて滑降を開始した。だだっ広い雪原を最初は南方向から西側へ巻く様に下りはじめた。スキーランはバーとテープで表示されていてそのまま大きく北方向へカーブしてゆくのが見えた。我々は小さくその手前を回り込みオフピステへ入った。前々日からの新雪がうっすらとシュカブラの上にかぶさっていて滑りに良いコンデションでは無かった。
 アクシデントは突然起きた。O1氏が隠れていたクレバスを踏みぬいて落下、一瞬にしてその姿が雪原から消えてしまったのだ(11:45)。
 オフピステに入る直前にガイドから指示があり、後続は“1本のトレール”を守っていた。Nガイドの先導に続いてO1氏は4番目に居た。その前に私が居て3人共がヒドンクレバスを渡っていたことになる。ベールのように薄い新雪のブリッジは4人分の重さとスキーのつけたキズに耐えかねて4人目のスキーが通過する瞬間にあっさりと崩れ落ちたのだった。

 2人のガイドがザイルとピッケルを取り出しアイゼンを着け、支点とするためにスキーを雪面に打ち込む等々、クレバスへ降りる準備を手際良く、黙々と進めている。クレバスから少し離れたところへ固まって突っ立ったままの私達11名は黙ってその様子を見つめていた。どうか無事でいて欲しい。おそらく全員が心の中でそう神に祈っていたことだろう。
 11:55 事故発生から10分後、アプザイレンでNガイドがクレバスの中へ降りて行った。上でビレイしていたCガイドは伸びの止まったNガイドのザイルを固定する。穴の中と連絡をとるためにCガイドはセルフビレーをとり腹這いの姿勢でクレバスの縁へ這い進み、顔を突き出して大声で叫んでいる。続いてこちらに向ってO2氏を呼んだ。通訳が要るのだ。穴の中からのNガイドが何かを伝えているらしい。
 Cガイドの確保を得てO2氏はやはり腹這いの姿勢で穴の縁へニジリ進む。穴の底をのぞき込む様にして大声でなにか喋っている。Nガイドは日本語で状況を話し、O2氏が仏語でCガイドに伝えるのだ。ビレーを解かれてO2氏が我々のところへ戻って来た。皆はO2氏の最初のひと言を聞きもらすまいとみじろぎもしない。「大丈夫らしい。意識はハッキリしている」 とにかく良かった良かったと全員の表情に安堵の色が戻った。
<以下、時系列に事実を記述>
・12:15第1回目ヘリ到着。隊員1名を残し飛び立つ。
・12:25第2回目ヘリ到着。隊員1名と救出用具一式を下し飛び立つ。
隊員2名が伸縮式のバー(三ツ又)を組み上げクレバスの中央に固定する。
谷側の2本のバーの中間に手動式のウインチを各々1コづつセットする。
徒歩で下って来たパトロール(?)1名が作業に加わる。
・12:30隊員1名がもう一本のワイヤーと共に穴の中へ下りる。上では2人が各々のウインチを降ろす方向へ手動で回している。
・12:36第3回目ヘリ到着。
隊員1名と救急箱のようなものを下して飛び立つ。
・12:38ウインチ巻き上げ開始。(片方のみ)
・12:43ワイヤーに吊るされたO1氏が引き上げられる。頭部にNガイドのキャップを着けていたため、当初は???であった。O1氏は滑落時にキャップとゴーグル・眼鏡を失っていたのだ。我々に「オオーッ!」というどよめきが起ると同時に、O1氏が振り向き片手を高く上げた。そして拍手が鳴り響いた。
・12:48第4回目ヘリ到着。
隊員1名を下し、O1氏を乗せて飛び立つ。
・12:53もう1本のウインチが巻き上げられてNガイドが雪上に帰還した。再び拍手が湧き起こる。
・13:10第5回目ヘリ到着。
隊員2名と撤収した救出機材を積み込み飛び立つ。
残された用具と装備の撤収と収納作業。
・13:25作業終了。隊員1名とパトロール1名はスキーで下山。ガイド2名は我々の位置まで戻り、Nガイドによる謝罪および状況の概要説明がある。
<以上>――救出活動の地上(雪上)部分のみを当時のメモに基いて記した――

 アクシデントの場所から西側へ、オフピステからとにかく全く安心のスキーランに戻る。
 トロッケナーシュテークのレストランで少し遅いランチを摂る(13:30〜14:30)。滑り足りない6名とCガイドでもう一度テオドールパス近くまで上り、フーリまで一気に滑降する。ややくたびれ気味の長い長いダウンヒルだった。Cガイド以外の6名は最後のピッチはテレキャビン。キャビンの中から林間の人口雪コースの最後の緩斜面を豪快なスケーティングで滑るCガイドの姿を見つけた。17:20 スキー終了。
 ホテルの階段を上ったところにO1氏が立っていた。我が目を疑うほど驚いた。ヘリで病院へ運ばれ治療を受けている筈のO1氏がそこに居たのだから無理はない。聞けば、外傷もなく問診だけですぐ解放され早くホテルに帰る事が出来たのだそうだ。みなさんありがとうのチョコレートをO1氏が配っているところへ出会ったのだった。“よかった”。ほんとうによかった。部屋に入るなり、ハーネスも解かずにもう1本の“クローネンボルグ”をバルコニーのパックから引き出して“プシュ!”、T氏とヨロコビの乾杯となった事は言うまでもない。
 すっかりガスのとれたマッターホーンがその全容を見せて鎮座していた。明朝のモルゲンロートが楽しみだ。

本人のクレヴァス落下事故報告

4月4日(金) CHAMONIXでお別れ会 (記録 金井)

 6:30ほんとにホテルらしい朝食。荷物すべてをまとめて7:30出発。ツェルマット駅へ向かう。8:10発の電車に乗りタッシュへ。迎えのバスに乗り換える。ローヌ河沿いにシオン、マティーニーと美味しいワインの出来るローヌの谷を通過する。桜もレンギョウも満開。南西斜面にぶどう畑が広がる。バスはマティーニーでローヌ河と分かれ国境へと登る。途中、バスから降りて美しいローヌの谷を眼下に眺める。国境を超えシャモニに近づくとグランモンテの裏側のヴェルト針峰群や,モンブラン、エギーユデュミディも眺められた。
 パークホテルに到着後、荷物を置いて、ガイドも含め全員でスネルスポーツの神田さんのお宅に伺う。シャモニ郊外の素敵なお家のテラスで沢山のムール貝、カシューナッツ入りの珍しいソーセージ、スモークサーモン、リーフレタスにトマトのサラダ、久し振りの日本米のおにぎりそしてデザートにいちご、もちろんシャンパンで乾杯、ワインをたっぷりごちそうになり14:00すぎに失礼する。さっぱりした感じでとても美味しかった。ごちそうさま!

(図:橋本 神田邸から望むシャモニ針峰群)

 シャトルバスを駅前で降り、岡安,小林,金井の3人で15:00発の登山電車に乗りモンタンベールへ行く。電車は30分おきに出ており乗車時間30分往復13.4ユーロだ。夕陽を浴び始めたドリュウ針峰が真正面に耀いている。右奥にはメールドグラスの左俣レショウ氷河がグランドジョラスの北壁の基部に至るまでとてもよく見える。右俣ヴァレブランシュは屈曲しているため出合しか見えない。出合からはつぎつぎと滑ってくる人たちがよく見えた。16:30発の電車に乗りホテルに戻る。夜はお別れディナー。風邪のため声が出なくなりかすれ声の上、ひどい咳で夜どうしうなされていた感じ。同室だった福士さんお休みになれなかたでしょう? ゴメンナサイ!

団体ツアーと個人ツアー
 団体ツアーの良いところは・・航空券、宿泊所の手配、ガイドとの交渉もろもろの心配事なしに楽しめる。それらすべてを自分たちでこなす煩わしさを乗り越えれば、天候には左右されるが行きたいところに行ける。どちらを選ぶかはあなた次第・・!


4月5日(土)6日(日) 帰路に (記録 金井)

 7:00朝食。帰国組7人は午前中モンタンベールへ行くグループとスネルスポーツで買い物をするグループに分かれた。延長組みはヴァレブランシュへ行くパーティー2つとブレバンへ滑りに行くパーティーに分かれた。
 帰国組は市内のレストランで昼食。生牡蠣、エスカルゴなど、地中海の魚貝に舌鼓を打った。午後16:50集合。近くの教会では16:00から結婚式が始まっていた。モデルのように美しい花嫁さんが大勢の人に祝福を受けていた。野次馬根性丸出しで教会の中まで見学に行く。帰国組7人は大型バスにちょこんと乗り17:00出発。春爛漫・・花溢れるジュネーブの市街を通り18:30空港着。
 ここで一大事件発生。エールフランスのカウンターで荷物の重量オーバーで大もめ。荷物は17kgスキーは3sが目安で20sまでとがんこなおにいさんが済ました顔で対応。すったもんだの末、荷物は全員分でなんとか通過。残るスキー板は一番軽い人で5s、スネルスポーツで板を購入し2本も入れている私は一番重くて11s。またまたすったもんだの挙句、私を含む3人が3sオーバーとして、なんと174ユーロも荷物運賃を取られた。フランス語が流暢に話せたら「なによ!私より10キロや20キロ体重の重い人なんて大勢乗っているのに何けちくさいこと言ってるの!!!体重も重量にいれて!」と啖呵のひとつも切りたいところだった。エールフランスってなんてエゲツナイの!
 飛行機はほぼ定刻20:30に離陸。黒い地平線のシルエットの上に夕陽の真っ赤に燃えるような残照がいつまでも見えてとても美しかった。飛行機はドゴール空港に着く前に高度を下げパリ市街の上を通った。まさに『翼よ、あれがパリの灯だ!』状態(翼はいつも見ているから感激は左側の座席の私達だけ!)で、オレンジ色と少し白っぽい色の灯がパリの町を彩り、なんとエッフェル塔がオレンジ色の灯にかたどられて真下に見えたのには大感激だった。
 ドゴール空港発成田行きもほぼ定刻の23:25発。

4月6日(日)夕方18:00成田着。曇り。奥村夫妻と榊さん以外4人は18:53発の京成の特急に乗る。東京は花に時を合わせたように満開の桜。美しい夜桜の元、帰宅した。

言葉には表せないほどの感謝
 会計をしてくださった石原さんと福士さん、本当に本当にありがとうございました。
 皆さんのお金を預かり、更に折々の支払いを何度も何度もしていただき、とても大変だったと思います。ぼんやり突っ立っていたり、おしゃべりをしたりしている間にリフト券や切符を手渡されるだけの幸せな私達! 石原さんと福士さんと手助けのあずみさんのお蔭です。  心からの感謝を込めて“本当にありがとうございました!


−−以上、Dグループ記録−−

費用
  (ユーロ、フランの円換算に当っては平均的調達レートとして 133円/€ 90円/F を使用)
[日本円]** ¥478,010 **
●保険(東京海上火災の海外旅行保険) ¥7,930 (3,470+4,460)
    +は運動危険割増
内訳 疾病治療(1,000,000) 2,140+2,280 
   障害治療(  〃   )  720+1,780 
   救援者費用(  〃   )  440+  120 
   その他(死亡、賠償責任)170+  280 
●旅行代金((株)アトラストレック)¥463,580
    内訳 基本部分(17日分、435,000 
 (航空券代金、地上交通費、宿泊朝夕食代、山岳ガイド代))
     延泊(2日分(宿泊朝夕食代のみ)) 20,000 
     航空保険料  2,440 
     成田使用料  2,040 
     海外TAX   4,100
●成田往復(町田方面、バス利用の例)¥6,500
[ユーロ]** €326.74 **¥43,456
●カルトネージュ€45.00
●ガイドチップ€70.00
●リフト・ロープウェイ代€177.64
 内訳   3/23(ヴァルトラン)13.90
    3/24(プラロニオン)7.70
    3/26(ラプラーニュ)19.21
    3/27(レザルク)29.10
    3/28(ヴァルジゼール)32.83
    3/29(ラホジエール)12.33
    3/29(トリノの小屋往復)26.00
    3/30(グランモンテ)35.57
●ランチ代€75.11
 内訳    3/22(個)13.20
    3/2515.00
    3/27(個)15.70
    3/28〜2925.24
    3/30(個)6.00
●夕ビール・夜ワイン類€66.04
 内訳    3/22?00.00?
    3/23〜2753.76
    3/28〜3012.28
●荷物送料€7.92
[スイスフラン]** F356.50**¥32,085
●リフト・ロープウェイ代F119.13
 内訳    3/31(モンフォー)52.00
    4/1(ヘリポートへの車代)4.17
    4/3(ツェルマット)62.96
●ヘリ代 4/1F175.00
●夜・ワイン類F47.37
●モンフォー下のレストラン(個)F5.00
●ツェルマットの街のクレープ(個)F10.00

奥山の個人記録(参考まで)

生命保険の切り替えはココ 独自ドメインの取得をするなら 給料前でお金がない・・